ヒトラーの側近くで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/02 04:40 UTC 版)
「ユニティ・ヴァルキリー・ミットフォード」の記事における「ヒトラーの側近くで」の解説
しかしまもなく父デーヴィッドがお目付役として同行する条件でユニティはミュンヘンへ戻る事を許された。1935年9月の党大会ではユニティはもはや観客の一人ではなく、ヒトラーとともに演壇の上に立つ立場であった。ヒトラーとの同道が多くなるとヒトラーの護衛たちから「ミットファールト(Mitfahrt)」(ドイツ語で「同行・同乗」を意味する語)というあだ名を付けられるようになった。またユニティはヒトラーの目的地に先に到着している事も多く、ヒトラーの側近の中には彼女をイギリスのスパイではないかと疑う者もいたという。 ユニティは家族と会話するかのようにヒトラーとおしゃべりすることができた。エーファ・ブラウンもヒトラーの部下たちもヒトラーに対しては常に控えめな態度を取ったし、姉ダイアナもヒトラーに対してはあくまで総統として接していた。したがってユニティこそが最もヒトラーに気安く接することができる人物だった。ヒトラーはユニティのことを「キント(子供)」、ユニティはヒトラーのことを「ウルフ」と呼びあい、二人だけの個人的なジョークを言いあうほど親しかった。 ユニティはやがて、エーファ・ブラウンの存在を知ったが、敬愛する総統が売り子風情と恋仲にあることが許せず、エーファが働くハインリヒ・ホフマンの写真屋に乗り込んだという。ブランド品を見慣れたユニティはエーファの靴が写真屋の売り子の収入だけではとても買えるはずのないフェラガモのニューデザインであることに気づき、エーファとヒトラーとの関係を確信したという。 ユニティとヒトラーの結婚の噂がささやかれていたが、二人はセックスの関係には至っていないとされている。姉ダイアナは「ヒトラーはセックスにほとんど関心がなく、絶対にユニティと寝ていない。ユニティと一緒にいるのは好きだったけど、それ以上の関係ではなかったと思う」と述べている。アルベルト・シュペーアも「彼女は彼と関係したかったでしょうが、彼が彼女の手を握る以上の事をしたかは私には甚だ疑問です」と述べている。またレニ・リーフェンシュタールの証言によるとレニがユニティとの関係をヒトラーに問うたところ、ヒトラーは「あの娘は大変に魅力的だが、たとえどんなに美人でも私は外国人とは親密な関係にはなれない。祖国を愛するあまりドイツ人女性以外愛することはできないのだ」と答えたという。
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