パルク・デ・プランスとは? わかりやすく解説

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パルク・デ・プランス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 04:03 UTC 版)

パルク・デ・プランス
Parc des Princes

UEFA
施設情報
所在地 24 rue du
Commandant Guilbaud
75016 Paris
位置 北緯48度50分29.12秒 東経2度15分10.99秒 / 北緯48.8414222度 東経2.2530528度 / 48.8414222; 2.2530528座標: 北緯48度50分29.12秒 東経2度15分10.99秒 / 北緯48.8414222度 東経2.2530528度 / 48.8414222; 2.2530528
起工 1897年
開場 1897年9月18日
修繕 1997年-1998年、2014年-2016年
拡張 1931年-1932年、1967年-1972年
所有者 パリ
運用者 SESE
グラウンド Dessoグラスマスター
ピッチサイズ 105 m x 68 m
照明 1500 lux
建設費 9000万フラン
設計者 ロジェ・タイイベール (1972年)
使用チーム、大会
パリ・サンジェルマンFC (1974年-)
サッカーフランス代表 (1974年-1998年)
#開催された主な試合を参照
収容人員
47,929人
アクセス
en:Porte d'Auteuil (Paris Métro)ポルト・ドートイユ駅より徒歩8分

パルク・デ・プランス: Parc des Princes フランス語発音: [paʁk de pʁɛ̃s])は、フランスパリ16区にあるサッカー専用スタジアムスタッド・ジャン=ブーアンスタッド・ローラン・ギャロスの付近に位置している。

収容人数は47929人で、1974年よりパリ・サンジェルマンFCがホームスタジアムとして使用している。なお、1998年以前は、サッカーフランス代表ラグビーフランス代表もホームスタジアムとして使用していた。全席着席方式のスタジアムで、四方向のスタンドに囲まれている。

設計はフランス人建築家のロジャ・タイリベールとイラン人建築家のシアヴァシュ・テイモウリによって行われ、建設には9000万フランが投じられ、1972年5月25日にオープンした。なお、それ以前にも1897年に初代、1932年に2代目のスタジアムが建設されており、現在のスタジアムは3代目である。

このスタジアムにおけるサッカーの観客動員記録は1983年のUEFAカップウィナーズカップにおける準々決勝第1戦のパリ・サンジェルマン対KワーテルシェイSVトール・ヘンクにおける49575人だが、1989年ファイブネーションズチャンピオンシップのフランス対ウェールズ戦で50370人の観客を記録しており、これが全体での最多動員記録である。

歴史

初代 (1897 - 1932)

スタジアムのある地域は、フランス革命以前は王室の森林公園であった (スタジアム名にパルクが含まれるのはこのためである) 。従前は研究所であった。

1897年に周長666mの長円形スタジアムとして誕生した。当時はスタッド・ヴェロドローム・デュ・パルク・デ・フランスと呼ばれていた。この初代スタジアムには3000以上の座席と728ヤードのトラックが整備されていた。しかしながら構造が劣悪だったため、同年のこけら落しとなる7月18日には一般の観客は入ることができなかった。このままでは自転車競技場としての機能を果たせないと考えた、ツール・ド・フランスの生みの親である、アンリ・デグランジュの意向により、1903年から1967年まで同レースの最終ゴール地点と定めた。また、1900年UCIトラック世界選手権大会でも使用された。

1903年には初めてサッカーの試合が行われ、イングランド代表対パリの一流選手で構成されたチームの試合が行われた。また、1905年にはフランス代表スイス代表の試合も行われた。1906年にはラグビーフランス代表ニュージーランド代表と対戦した。

これらが契機となって、1924年パリオリンピックの会場の候補にも推挙されたが、周長が長い分、カントが低い設定となっていたことが嫌われる形となっていたほか、座席も増設されたものの20000席であったことなどが要因で、同年のパリオリンピックのトラックレースの会場は、1900年パリオリンピックの開会式会場となった、ヴェロドローム・ド・ヴァンセンヌが選出された。

2代目 (1932 - 1972)

上述のパリオリンピック会場誘致失敗を契機とし、デグランジュの後を受けてツール・ド・フランスのレース責任者となったジャック・ゴデの意向により、1932年に従前の666mから454mに改修され、また観客席も2万人収容から4万人収容へと大幅に増築された。

1932年4月19日にオープンしたが、快適性の観点から座席はオープン間もなく38000席に減らされた。

一方で当時、4万人という収容人員を誇るスタジアムが、フランス国内にあまりなかった背景から、競技場内のフィールドを利用して、球技場としても利用されることになった。改修以前にもサッカーやラグビーの試合が行われたこともあったが、改修後はその頻度が急増した。とりわけ、1938年FIFAワールドカップや、1954年の第1回ラグビーリーグ・ワールドカップの決勝戦、及び1960年の第1回UEFA欧州選手権の開催が契機となり、後述する、サッカー用スタジアムへの転身へと繋がっていくことになった。

3代目 (1972 - 現在)

現在、パルク・デ・プランスが建っている場所は上述の通り元々は自転車競技場であったが、1970年にそれまでプロサッカークラブとは無縁であったパリに、パリSGが発足したのに合わせて1972年にそれまでの自転車競技場に手を加える形で誕生した。

前述の通り、ロジャ・タイリベールとシアヴァシュ・テイモウリによって設計されたこのスタジアムは、フランスの中でも有名なスタジアムの一つとなっている。また、楕円形の屋根に照明を組み込んだ初めてのスタジアムでもある。

リーグ・アンに所属しているパリ・サンジェルマンFCのホームスタジアムであり、サン=ドニスタッド・ド・フランス(約8万人収容)が完成する以前は、パリにおけるサッカー、ラグビーのフランス代表のホームスタジアムであった。

サッカーの国際大会ではUEFA欧州選手権1984年大会2016年大会)や1998 FIFAワールドカップ2019 FIFA女子ワールドカップで使用されており、欧州選手権では1984年大会の決勝開催地となった。ラグビーワールドカップでは1991年大会2007年大会で使用された。2024年パリオリンピックではサッカー会場として使用される。

2012年~2016年にかけて、アメリカ人建築家トム・シーハンのもと、幾度かの改修も行われた。改修には座席の位置の調整、新しいベンチと更衣室の整備などが含まれている。この改修により、スタジアムの収入は4倍増加した。

約5万人収容という程よい大きさと交通の便のよさのためか、パリSGは現在もスタッド・ド・フランスに本拠地を移転せずパルク・デ・プランスを使用し続けている。

開催された主な試合

サッカー

日付 ホームチーム 結果 アウェーチーム ラウンド
1938年6月4日 ドイツ 1-1
(a.e.t.)
スイス 1回戦
1938年6月9日 ドイツ 2-4 スイス 1回戦 (再試合)
1938年6月16日 ハンガリー 5-1 スウェーデン 準決勝
日付 ホームチーム 結果 アウェーチーム ラウンド
1960年7月6日 フランス 4-5 ユーゴスラビア 準決勝
1960年7月10日 ソビエト連邦 2-1 ユーゴスラビア 決勝
日付 ホームチーム 結果 アウェーチーム ラウンド
1984年6月12日 フランス 1-0 デンマーク グループA
1984年6月20日 スペイン 1-0 西ドイツ グループB
1984年6月27日 フランス 2-0 スペイン 決勝
日付 ホームチーム 結果 アウェーチーム ラウンド
1998年6月15日 ドイツ 2-0 アメリカ合衆国 グループF
1998年6月19日 ナイジェリア 1-0 ブルガリア グループD
1998年6月21日 アルゼンチン 5-0 ジャマイカ グループH
1998年6月25日 ベルギー 1-1 韓国 グループE
1998年6月27日 ブラジル 4-1 チリ ラウンド16
1998年7月11日 オランダ 1-2 クロアチア 3位決定戦
日付 ホームチーム 結果 アウェーチーム ラウンド
2016年6月12日 トルコ 0-1 クロアチア グループD
2016年6月15日 ルーマニア 1-1 スイス グループA
2016年6月18日 ポルトガル 0-0 オーストリア グループF
2016年6月21日 北アイルランド 0-1 ドイツ グループC
2016年6月25日 ウェールズ 1-0 北アイルランド ラウンド16
日付 ホームチーム 結果 アウェーチーム ラウンド
2019年6月7日 フランス 4-0 韓国 グループステージ
2019年6月10日 アルゼンチン 0-0 日本 グループステージ
2019年6月13日 南アフリカ共和国 0-1 中国 グループステージ
2019年6月16日 アメリカ合衆国 3-0 チリ グループステージ
2019年6月19日 スコットランド 3-3 アルゼンチン グループステージ
2019年6月24日 スウェーデン 1-0 カナダ ラウンド16
2019年6月28日 フランス 1-2 アメリカ合衆国 準々決勝


  • 国際大会
日付 ホームチーム 結果 アウェーチーム ラウンド
1956年6月13日 レアル・マドリード 4-3 スタッド・ランス UEFAチャンピオンズカップ1955-56決勝
1978年5月3日 RSCアンデルレヒト 4-0 FKアウストリア・ウィーン UEFAカップウィナーズカップ1977-78決勝
1995年5月10日 アーセナルFC 1-2 レアル・サラゴサ UEFAカップウィナーズカップ1994-95決勝
1998年5月6日 SSラツィオ 0-3 インテル・ミラノ UEFAカップ1997-98決勝

アクセス

脚注

関連項目

外部リンク

先代
-
UEFA欧州選手権
決勝戦会場

0000-1964
次代
サンティアゴ・ベルナベウ
マドリード




固有名詞の分類

FIFAワールドカップ競技場 スタッド・ドゥ・ラ・ボージョワール  コットン・ボウル  パルク・デ・プランス  フリーステイト・スタジアム  エスタジオ・ゴベルナドール・マガリャンイス・ピント
UEFA欧州選手権競技場 スタッド・ドゥ・ラ・ボージョワール  ヘルレドーム  パルク・デ・プランス  PGEアリーナ・グダニスク  ワルシャワ国立競技場
ラグビーワールドカップ競技場 ノース・ハーバー・スタジアム  スタッド・ドゥ・ラ・ボージョワール  パルク・デ・プランス  フリーステイト・スタジアム  スタッド・ヴェロドローム
ラグビーリーグ競技施設 シドニー・クリケット・グラウンド  スタッド・ジェルラン  パルク・デ・プランス  スタッド・ダルベール・ドメク  ニューカッスル国際スポーツセンター
ラグビーリーグワールドカップ競技場 スタッド・ジェルラン  マウント・スマート・スタジアム  パルク・デ・プランス  リーボック・スタジアム  スタッド・ダルベール・ドメク
フランスのサッカー競技施設 スタッド・オランピック・イヴ=ドゥ=マノワール  スタッド・ドゥ・ラ・ボージョワール  パルク・デ・プランス  スタッド・ヴェロドローム  グラン・スタッド・ドゥ・ニース
フランスのラグビー競技施設 スタッド・オランピック・イヴ=ドゥ=マノワール  スタッド・ドゥ・ラ・ボージョワール  パルク・デ・プランス  スタッド・ダルベール・ドメク  スタッド・ヴェロドローム
自転車競技場 ミンスク・アリーナ  エスタディオ・ナシオナル・デ・チリ  パルク・デ・プランス  ヴェロパーク  マディソン・スクエア・ガーデン

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