バスにおける横置きエンジン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/26 04:54 UTC 版)
「横置きエンジン」の記事における「バスにおける横置きエンジン」の解説
近代的なリアエンジンバスでの横置き搭載は、1930年代末にGMが発表して一世を風靡した、「アングルドライブ」を採用した「トランジット」(GM・オールドルック・バス)に端を発する。これは車体後端に横置きされたエンジンと、車体中心線に対して約65°偏向させたトランスミッションとプロペラシャフトを、クラッチの直後に置かれた「傘歯車」でつなぐもので、同じ長さのボンネットバスに比べて客室長を大きく取れ、かつ、客室後部に張り出すエンジンルームによるデッドスペースも限りなく小さく抑えることができるパッケージングで、一気に普及することとなった。しかし、搭載できるエンジンの寸法に制約があること、傘歯車はコスト高と騒音の原因となること、アイドリングや変速時に車体長手方向の曲げ振動が大きいこと、他の方式に比べ、トラックのと部品共有の面で不利となることなどの短所もあった。 第二次世界大戦後の欧州では、国によって差はあるものの、大型バスでもキャブオーバー型の占める割合が高く、リアエンジンバスも縦置きで発展しており、横置きエンジンの登場はノンステップバスの普及と軌を一にする。 これらとは別に、空港のランプバスなどに導入例があるネオプラン・N912 サンライナーは、大型バスながら横置きエンジンの前輪駆動方式を採用しており、前輪付近のエンジンカバー部を除き、車体後端までノンステップの超低床を実現している。このため、車体背面(後面)にもドアを設けることができ、一度にすべての客が乗り降りするランプバスでネックとなる、乗降時間の短縮に効果を上げている。 日本のバスでは、マイクロバスを除く中型から大型までのリアエンジン式路線バスのみに見られる。 民生デイゼルがリアに横置きされた2ストロークエンジンと、アングルドライブのレイアウトを組み合わせた「コンドル号」を1950年(昭和25年)に発表する。1955年(昭和30年)には、GMとのライセンス契約によるユニフロー掃気式のUDエンジンに置き換えられ、GM方式を忠実に再現するに至った。また、民生指定のコーチビルダーであった富士重工の車体デザインも、GMバスのスタイルに強く影響を受けていた。しかし、民生は1960年(昭和35年)に発表した4R系以降、全てのリアエンジンバスのエンジンを縦置きに変更した。 三菱ふそうのリアエンジンバスも1955年(昭和30年)に横置きと縦置きの両方でスタートしたが、2ストロークの利点を生かした直列3、4気筒エンジンを主体とした民生に対し、ふそうは大型バス用に直列6気筒エンジンしか持たなかったことから整備性が悪く、縦置きに比べてエンジンの振動とギアの騒音も大きかったことから、横置きエンジンはすぐに廃止されている。 一方、日野はセンターアンダーフロアエンジンで水平シリンダーの縦置きエンジンに先鞭をつけ、その後いすゞがリア水平縦置きを発表、日野と4ストロークエンジン(PDエンジン)移行後の日産ディーゼル(旧:民生、現:UDトラックス)もこれに続いた。ふそうのみは水平シリンダー式を投入しなかったが、直6シリーズの他にコンパクトなV6エンジン搭載車を併売し、1社のみ過大なデッドスペースを放置していたことに対する、顧客の長年の不満に答えた。 この結果、日本の路線バスはすべての車種が一旦は縦置きエンジンとなっていたが、東京都交通局が企画、国内エンジンメーカー4社との共同開発によって誕生した都市型超低床バスに採用され、その嚆矢はかつて横置き方式から撤退した三菱ふそうとなった。これ以降の超低床バス、それに続くノンステップバスの普及拡大に伴い、キャブオーバー型のマイクロバスを除いた、中型から大型の路線車に再び横置きエンジンが見られるようになった。小型化への要求から、2代目日野・ポンチョでは横置きトランスミッションの上に横置きエンジンエンジンを重ねるレイアウトをとっている。しかし、2000年代の半ばになると、コストダウンを狙い車内前半部分のみをノンステップとしたノンステップバスが大型・中型ともに主流となったことから、国産の大型・中型バスから横置きエンジンは再び姿を消した。
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