ハンボルト川でグレートベースンを横切る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/09 22:58 UTC 版)
「カリフォルニア・トレイル」の記事における「ハンボルト川でグレートベースンを横切る」の解説
ハンボルト川はネバダの北西部ルビー山脈の雪が融けて流れ出る水流であり、グレートベースンを横切ってほぼ西方に300マイル (480 km) 流れ、ネバダ西部のハンボルト・シンク(乾湖)に至り、そこで地中に消滅する。グレートベースンはネバダ州全土と、ユタ州、アイダホ州、オレゴン州およびカリフォルニア州の一部に跨っており、海への出口は無い。グレートベースンはシエラネバダ山脈の山陰に降る雨で生きており、そこにほとんど降らない雨が留まっている。ハンボルト川はグレートベースン砂漠を横切るための通りやすい道を提供してきた。ハンボルト川は水流がありその岸に沿って養分を運ぶ故に称賛され、その水量が少なく、煩い飢えた蚊やほとんど草がないこと、蛇行する水路、熱くアルカリ分を含んだ埃故に嫌われてきた。好戦的なインディアンは明らかに旅人の家畜に矢を射ち込むことを喜んでおり、それが後に残されていくことになった。焚きつけは時としてジュニパーやヒマラヤスギであり、ヤナギやヤマヨモギもあった。道はネバダ州を通る間ハンボルト川の南北両側にあり、水量の多いときはほとんど通れなくなる狭いカーリン・キャニオンを抜けていた。カーリン・キャニオンの西はエミグラント・ギャップを抜けて上りとなり、再び下ってグレーブリー・フォードでハンボルト川に合流した。グレーブリー・フォードでは、泥の多いハンボルト川が砂利の川床となり、容易に渡河することができて、通常は多くの草や新鮮な泉があった。多くの旅人は休息のためにここで暫く立ち止まり、動物や自分達の気力を回復させた。この浅瀬の後は、道が二手に分かれ川の南北両岸に沿って進んだ。北岸の道はかなり良くてリーズ川のシンクを通り過ぎても良かった。南岸の道を選んだ者はハンボルト川の大きな屈曲部を回って、大抵は乾燥したアルカリ分を含んだ埃のあるリーズ川のシンクを横切っていった。2つの道はハンボルト・バーで再度合流した。カリフォルニア・トレイルの主要路はネバダ東部で現在の州道233号線に、中部と西部では州間高速道路80号線にほぼ沿っている。 ハンボルト・シンク(現在のリノの北東約50マイル (80 km))では、ハンボルト川が泥の多い湖で消滅しており、カリフォルニア・トレイルの中でも最悪の場所の1つがフォーティマイル砂漠となって現れた 。トラッキー川(タホ湖盆地とドナー湖から流れ出る)とカーソン川はシエラネバダ山脈から東に流れ出る2つの主要河川であり、ハンボルト川の終端からわずか約40マイル (60 km) しか離れていない。トラッキー川は海水のおよそ6分の1の塩分を含むピラミッド湖に流れ込み、数種類の魚を生息させている。カーソン川はカーソン・シンクと呼ばれる別のアルカリ分を含んだ泥地で消滅する。不運なことに旅人はこのどちらかの川に辿り着く前にフォーティマイル砂漠を横切らねばならなかった。フォーティマイル砂漠の前で、カリフォルニア・トレイルの主要路には分岐があり、トラッキー川ルート(あるいはとラッキー・トレイル、1844年開通)は現在のネバダ州ウォズウァースに向かう州間高速道路80号線が通るほぼ真西に向かっていた。カーソン・トレイル枝道(1848年開通)は今日の州間高速道路80号線とアメリカ国道95号線の交差点から現在のネバダ州ファロンまで南西にフォーティマイル砂漠を横切りカーソン川に至った。 フォーティマイル砂漠は無水アルカリ性荒地の不毛の地域であり、ハンボルト・バーからカーソン川とトラッキー川、さらにその向こうまで広がっていた。この砂漠は東西70マイル (110 km) と南北150マイル (240 km) の広がりがあり、白い塩で覆われた砂と焼けたアルカリ性粘土が太陽熱を反射して、旅人や動物をよろめかせるような火の箱を作っていた。数少ない植物が育ったとしても通常は棘でおおわれており、地面に低く這っていた。フォーティマイル砂漠に降る年間降水量はわずか5インチ (125 mm) である。カリフォルニア・トレイルの中でも最も恐ろしい地域であり、移民たちはほとんど食糧が枯渇し、弱り疲れ、しばしば壊血病の症状となり、動物や道具ものびてしまった。カリフォルニア・トレイルの全行程2,000マイル (3,200 km) の中で約150マイル (240 km) を残すだけであったが、多くの者にとってそこが旅の終わりになった。大半の移民は8月の終わりから10月初旬にかけてそこに到達した。つまり1年の中でも最も暑く乾燥している季節だった。可能ならば暑熱を避けるために夜間に進んだが、砂漠を横切るには1昼夜以上を要した。トラッキー・トレイルで砂漠を横切る中間あたりに、まずい味の温泉(現在は熱発電プラント)が有ったが、その水はあまりに熱くて、喉が渇いた動物でも飲めなかった。多くの動物の死骸がこれら「悪い」泉の周りに集められ、しばしば近付くこともできなかった。水は溜めておいて飲む前に冷ましておく必要があった。道の最後の8マイル (13 km) はアルカリ分の堆積が軟らかい深さ6インチから10インチ (15-25 cm) の砂となり、動物が荷車を曳いて行くのを難しくした。地面は開拓者達が何とか通り過ぎるための絶望的な奮闘の中で捨てられた物、荷車および死者や死に行く動物の残骸が散らばっていた。しばしば荷車も放棄され、動物は鉤を外されて勝手に水を求めて行くままに任された。砂漠の対岸で回復した後に旅人達はその荷車を取り戻すために引き返すこともあった。多くの動物が(そして人も)この砂漠を越えるときに死んだ。1850年に行われた集計ではフォーティマイル砂漠でのぞっとするような数字が出ている。死んだロバ1,061頭、死んだ馬約5,000頭、死んだ牛3,750頭および墓の数953となっている 。 ハンボルト川、ネバダ州 カーソン川西支流、カリフォルニア州アルパイン郡ホープバレーの真東 ドナー峠、カリフォルニア州 カーソン川、トラッキー川、ハンボルト川、流域の地図、ネバダ州西部
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