ニューヨークとニュージャージーとは? わかりやすく解説

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ニューヨークとニュージャージー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 00:33 UTC 版)

アメリカ独立戦争」の記事における「ニューヨークとニュージャージー」の解説

詳細は「ニューヨーク・ニュージャージー方面作戦」を参照 1776年7月4日大陸会議アメリカ独立宣言採択したイギリス軍ハウ将軍ボストンから撤退した後でニューヨーク市奪取焦点を絞った大陸軍ワシントンニューヨーク防衛のためにロングアイランドマンハッタンの間に2万名の軍隊分けたイギリス軍がスタテン島に集結する間に、ワシントン新しく発行されたばかりアメリカ独立宣言兵士達読み聞かせた。もはや妥協余地無くなっていた。1776年8月27日ロングアイランド上陸した22,000名のイギリス軍は、独立戦争中でも最大会戦となったロングアイランドの戦い大陸軍駆逐し、ブルックリン・ハイツまで後退させた。ハウはそこで包囲戦行おうとしたが、ワシントンは軍もろともマンハッタン脱出できた。 9月15日ハウは約12,000名の部隊ローワー・マンハッタン上陸させ、直ぐにニューヨーク市支配した大陸軍はハーレム・ハイツまで退き翌日ハーレム・ハイツの戦いおこったが、なんとか陣地確保することができた。ハウワシントン軍を囲むように動いたとき、大陸軍はさらに後方退いたうえで、10月28日ホワイトプレインズの戦い起こったワシントン軍は後退繰り返したので、ハウマンハッタン戻りワシントン砦を占領して約2,000名を捕虜にした。捕虜の数はロングアイランドの戦いの時と合わせて3,000名に上ったこの後ニューヨークで悪名高い監獄船」が始まり終戦まで続いた。この監獄船戦闘による全死者数よりも多い11,500人ものアメリカ兵士水夫放って置かれたまま死んだチャールズ・コーンウォリス将軍ワシントン追ってニュージャージーまで進軍し大陸軍12月早くデラウェア川渡ってペンシルベニアまで後退した。このニューヨークからニュージャージー続いたイギリス軍方面作戦も冬に入って一旦停止しニュージャージー冬の宿営に入ったハウ何度も消耗繰り返す大陸軍を潰す機会ありながらしくじってはいたが、5,000名以上のアメリカ兵を殺すか捕虜にしていた。 大陸軍前途多難であった大陸軍と共に撤退繰り返していたトマス・ペインは「今が兵士の心を試す時だ」と書き記した使える兵力は5,000名足らずになっていた。兵士1年就役期間が終わるので12月末がくれば、1,400名まで減ることになっていた。大陸会議絶望のうちにフィラデルフィア捨てた。ただしイギリス軍の占領対す大衆反抗強くなっていた。 ワシントン年が改まる前に攻撃することに決めクリスマスの夜密かにデラウェア川渡って12月26日トレントンの戦いで1,000名近いヘシアン捕虜にした。コーンウォリストレントン再度奪取しようと進軍してきたが、ワシントンはその裏をかき、1777年1月3日プリンストンの戦いイギリス軍後衛部隊打ち破ったワシントンアメリカ側士気高めることができたので、その後モリスタウン冬の宿営に入ったニュージャージー民兵は冬の間もイギリス軍ヘシアン嫌がらせ続けイギリス軍ニューヨーク市周辺まで撤退することになった大陸会議ワシントンは、ボストン包囲戦ころから情報諜報戦略を展開しており、占領されニューヨーク中心とした情報収集諜報活動では、地域支援の少なイギリス軍よりも優位に立っていた。トレントンの戦い勝利諜報活動成果収めた一例である。ヨーロッパ諸国との情報通信早くら行われており、この情報優位終戦まで続くことになったイギリス軍の戦略はいつの段階でも国王対す忠誠誓って結集してくる王党派の者達の支援期待していた。1776年2月ヘンリー・クリントン将軍は2,000名の兵士海軍船隊ノースカロライナ侵攻したが、王党派部隊ムーアズ・クリーク橋の戦い殲滅されたことを知って引き上げた6月クリントン南部の主要港であるサウスカロライナチャールストン占領しようとしたが、この時も南部王党派決起期待していた。これは戦争遂行するには手軽な方法見えたが、海軍は砦の攻撃失敗し王党派の者が町背後から攻撃仕掛けることも無かったので、作戦失敗した南部王党派組織力弱く効果表せなかった。1781年までロンドンの上官僚は、南部から逃げてきた王党派言葉信じて蜂起があるものと思っていた。

※この「ニューヨークとニュージャージー」の解説は、「アメリカ独立戦争」の解説の一部です。
「ニューヨークとニュージャージー」を含む「アメリカ独立戦争」の記事については、「アメリカ独立戦争」の概要を参照ください。

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