ニューヨークにおける亡命生活 1940-1949
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「クロード・レヴィ=ストロース」の記事における「ニューヨークにおける亡命生活 1940-1949」の解説
ブラジルでの長期横断調査の後、第二次世界大戦前夜にフランスに帰国して応召、西部戦線に従軍する。フランスの敗戦により兵役解除となり、いったん南仏に避難するも、ナチスによるユダヤ人迫害が迫るのを逃れて、マルセイユから船でアメリカ合衆国へ亡命する。同じ船上には、シュルレアリスト詩人のアンドレ・ブルトンもいた。 亡命先のニューヨークでは、ブルトンを初め、当時ニューヨークに集っていたシュルレアリストたちと親しく交際。彼らと連れ立って、アメリカ先住民の美術工芸品の収集を熱心に行っていた。社会人大学のニュースクール・フォー・ソーシャル・リサーチにて文化人類学を講じる。当時のニューヨークにはまたヨーロッパからのユダヤ系をはじめとする亡命知識人たちがおり、ニュースクールには彼らが教師として多数名を連ねていた。 この大学において同じく合衆国へと亡命してきていた言語学者・民俗学者のロマン・ヤコブソンと知り合う。二人はお互いの講義を聴講しあい、レヴィ=ストロースは彼から、彼自身が主導してきた構造言語学の方法論、とりわけ音韻論(音素およびその二項対立的な組成、さらにゼロ音素の概念など)の発想を学び、ブラジルでのフィールドワークにおいて漠然とした着想を得ていた、親族構造論の骨格として活用することを思いつく。 1945年の論文『言語学と人類学における構造分析』において、音韻論的な二項対立を活用して親族組織を分類するための基礎的な方法論がテストされた後、第二次大戦の終結後も合衆国にとどまり、およそ2年間の執筆期間をかけて、デュルケム学派の親族論の批判的継承やモースの贈与論の着想の活用をはじめ、従来の人類学・社会学の近親相姦および親族関係の主題を網羅したうえで、女性の交換を親族構造の根本的機能であることを提起した序論および第1部と理論部と、それに続いて、ニューヨーク公共図書館に通いつめての所蔵文献資料の検討の結果である、オーストラリアから北東・東南アジア・古代中国・インドの親族構造を題材にそうした交換様態の存在を例証した第2部・第3部からなる大著『親族の基本構造』を、博士論文として完成させた。
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