ニューヨークとジャージーの繰り入れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 08:48 UTC 版)
「エドマンド・アンドロス」の記事における「ニューヨークとジャージーの繰り入れ」の解説
1688年5月7日、ニューヨーク植民地と、東西ジャージー植民地が自治領に追加された。そこはアンドロスが居たボストンから遠かったので、副総督のフランシス・ニコルソンにニューヨーク市から運営させた。ニコルソンは陸軍の大尉であり、植民地担当大臣ウィリアム・ブラスウェイトの庇護者だった。1687年にアンドロスの衛兵としてボストンに来ており、その評議員に昇進していた。 1688年夏、アンドロスは初めてニューヨークに旅し、続いてジャージーに行って、その任務を確立した。ジャージーの自治領による統治は、そこの認証が撤回された領主がその土地を保持しており、アンドロスに伝統的な荘園領主権を請願したので複雑なものになった。ジャージーにおける自治領時代は権力の中枢から遠かったこともあって比較的事件が少なく、1689年に突然自治領が終わりを迎えた。
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