ニューヨークでの審理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 21:11 UTC 版)
「オスカー・スレイター事件」の記事における「ニューヨークでの審理」の解説
12月29日に国際電報がアメリカへ打たれ、スレイターは年をまたいだ1909年1月2日にニューヨーク港で逮捕された。その時にスレイターが持っていた荷物の中からは、子鹿色の防水製オーバーコート、黒っぽいフェルトのハット(バロウマンの目撃証言にあったドニゴール・ハットではない)、そして頭部長3.5インチのハンマーが発見されている。 アメリカ側がスレイターの送還を許可するのを待てず、グラスゴー市警はランビー、アダムス、バロウマンの3人をニューヨークへ向かわせた。アダムスは、自分は近視なので役に立てない、と抗弁したが、聞き入れられなかった。この時、ランビーとバロウマンはニューヨークまでの船旅を、12日間同じ船室で過ごしている(ただし、2人は証言について口裏を合わせたことはないと主張している)。 スレイターのイギリスへの引き渡しを求める裁判は、1月19日から連邦地方庁舎で開かれた。審理の直前、護送されてきたスレイターと法廷の前ですれ違ったランビーとバロウマンが、「あの男が法廷に入ってゆくわ」と同時に同じ言葉を口にした、と2人に付き添っていたグラスゴー市警警部ジョン・パイパー (John Pyper) は後に述べた。しかし、このときスレイターを護送していた裁判所職員は、イギリス側の代理人が2人に合図を送っていたと語っている。 3人の目撃者は、ニューヨークの法廷でそれぞれ次のように語った。 ランビーの証言 判事から犯人についての詳しい説明を求められたランビーは、「顔は分かりません。顔は一度も見ませんでした」「見たのは歩き方です」と述べ、識別の根拠はその男の特異な歩き方であると説明した(ただし、ランビーが犯人が歩く姿を目撃できたのは3、4ヤード分である)。その後、廷内の人間から犯人を選ぶように言われたランビーは「言いたくはないのですが」とためらい、判事との押し問答の末に「とても怪しい人」としてスレイターを指さした。 バロウマンの証言 同様の質問に対してバロウマンは、ためらうことなくスレイターを指さし「とてもよく似ています」と述べ、識別の根拠はその鼻である、とも述べた。 アダムスの証言 アダムスはスレイターを指さして「あの男に全く似ていないわけではありません」としたが、「はっきりと断言はできません」と述べた。「犯人の曲がった鼻に気が付いたか」「歩き方に目立った点はあったか」との質問にはどちらも「いいえ」と答えた。 スレイターの弁護人は、スレイターが強制送還される法的根拠はないと主張した。しかしスレイターは「自分には何ひとつやましい点はない」と述べ、弁護人の忠告を無視して2月6日に送還を拒否する権利を放棄。14日にコロンビア号でニューヨークを発ち、21日にクライド港へ戻った。
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