ニューヨークでの余生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/20 03:13 UTC 版)
「フレデリック・クームス」の記事における「ニューヨークでの余生」の解説
この事件の直後、クームスはサンフランシスコを離れニューヨークに移った。1868年、マーク・トウェインがクームスを発見したが、彼はいまだに自分がジョージ・ワシントンであることや女性を魅了しているということを信じており、人々を楽しませるために街角で脚を露出していた。トウェインによれば、クームスはニューヨーク、フィラデルフィア、ボルチモアをまわりつつ、ベンジャミン・フランクリンの墓を訪れる自身の写真を25セントで売っていたという。ウィリアム・ペンの邸宅が解体されることになった時、クームスはこれを自分に与えるよう議会に求めている。これがうまくいかないとなると、今度は要求対象をワシントン記念塔に変えた。 1874年、クームスはニューヨークで死去した。
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