ニューヨークでの初の個展
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「マーク・ロスコ」の記事における「ニューヨークでの初の個展」の解説
ニューヨークに戻ったとき、ロスコは現代美術のギャラリーでの初の東海岸の個展があった。そこでは、いくつかの水彩とドローイング、それと主に肖像描いた15点の油絵を展示しました。このとき展示された油絵は、批評家の目に留まるものでした。ロスコの豊かな色面は、エイブリーの影響を超え発展されているものになっていた。1935年の後半にロスコは、イリヤ・ボロトウスキー、ベン・シオン、アドルフ・ゴットリーブ、ルー・ハリス、ラルフ・ローゼン、ルイス・シャンカー、ジョセフ・ソルマンとともに「ザ・テン」を結成する。その使命は当時のアメリカ美術界の昔を懐かしむ風潮やヨーロッパの美術に重きをおく保守的な価値に対して抗議することだった。当時のロスコのスタイルは、晩年の彼の有名なスタイルへ発展しつつあったが、色による深い探求にも関わらず、まだ神話や寓話のシンボルから影響を受けシュルレアリスム的な絵画を描き、別の形式の革新を探求していた。 ロスコの作品は、特に結成したアーティストのグループの仲間うちからは好評を得ていた。1937年のはじめ、ゴットリーブやソルマンを含む芸術家協会は、自分たちで組織したグループ展を市のアートギャラリーで行うことを望んでいた。前年である1936年のフランス、ギャラリー・ボナパルトで行ったグループ展では、いくつかの肯定的な批評を得ていた(ロスコの絵についてはある批評家が「本物の色の価値を提示した」と述べた)。その後、1938年にニューヨークのマーキュリー・ギャラリーで「ホイットニーへの反逆者たち展」を行う。これはマーキュリー・ギャラリーの近くでもあり、グループの活動を一部の事柄とみなし、アメリカン・シーンやリージョナリズムを推し進めていたホイットニー美術館への当てつけであった。また、この時期のロスコは、エイブリーやゴーキー、ポロック、デ・クーニングのようにニューディール政策によって始まった公共事業促進局(WPA)の事業の一環である連邦美術計画(FAP)に雇われた時期でもあった。
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