ドソン
ドソン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/12 22:16 UTC 版)
![]() サン・ペドロ・デ・ドソン教会 |
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州 | ![]() |
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県 | ![]() |
コマルカ | デサ |
司法管轄区 | ラリン |
面積 | 74.2 km² |
教区数 | 8 |
居住地区数 | 55 |
人口 | 1,328 人 (2012年)[1] |
人口密度 | 17.9 人/km² |
ガリシア語率 | 98.86% (2011年[2]) |
自治体首長 (2011年) |
アドルフォ・カンポス・パナデイロ(PPdeG) |
北緯42度35分 西経8度01分 / 北緯42.583度 西経8.017度座標:
北緯42度35分 西経8度01分 / 北緯42.583度 西経8.017度 |
ドソン(Dozón)は、スペイン、ガリシア州、ポンテベドラ県の自治体、コマルカ・デ・デサに属する。ガリシア統計局によると、2012年の人口は1,328人(2009年:1,827人)[1]。
ガリシア語話者の自治体住民に占める割合は98.86%(2001年)。
地理
ドソンはポンテベドラ県の北東部に位置し、コマルカ・デ・デサに属する。北から西にかけてはラリンと、東はロデイロ、南はピニョールとオ・イリーショ(両自治体ともオウレンセ県)の各自治体と隣接している[3]。面積は75km²で、コマルカ内で最も小さい。ドソンは8の教区に分けられており、中心地区はオ・カストロ・デ・ドソン。
ドソンはデサ川によって形成された谷の高地に位置し、平均高度は700mである。地形は波打つような谷の連続で、最高地点はロチャ山の770mである。
ドソンはラリン司法管轄区に属す[4]。
人口
ドソンの人口推移 1900-2010 |
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出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[5]、1996年 - [6] |
歴史
ドソンについての最も古い記録は、832年にDezónという名称で、言及されており、この地名は13世紀まで使われていた。現行の地名Dozónが初めて記録されたのは1226年のことで、ゴンサーロ・ロドリゲスがドソンの助祭長として署名している。
10世紀には、サンチョ1世とその王妃によってさまざまな特権を有するレアル・コウト・デ・ドソン(王直轄領)となった。この直轄領の起源は、最初サン・ペドロ・デ・ドソン修道院の女修道院長の所領であったが、その後オセイラ修道院の修道院長の所領となった。そのため、壁面に当時の紋章が残されている建物が現在も見られる。
史跡
- カストロ - ドソンには青銅器時代に作られたカストロが現在も残されている。それらのうち、保存状態が良好なものはマセイラス教区のカストロ・デ・サン・ブレイショとドソン教区のカストロ・デ・サンタ・マリーア。
- ローマ時代の街道跡と橋が残されている。
- サン・ペドロ・デ・ビラノバ・デ・ドソン教会 - 12世紀建造のロマネスク教会。
政治
自治体首長は、ガリシア国民党(PPdeG)のアドルフォ・カンポス・パナデイロ(Adolfo Campos Panadeiro)、自治体評議員はガリシア国民党:7、ガリシア民族主義ブロック(BNG):2となっている(2011年5月22日の自治体選挙結果、得票順)[7]。
首長当選者:アドルフォ・カンポス・パナデイロ(PPdeG) |
首長当選者:アドルフォ・カンポス・パナデイロ(PPdeG) |
首長当選者:アドルフォ・カンポス・パナデイロ(PPdeG) |
首長当選者:アドルフォ・カンポス・パナデイロ(PPdeG) |
教区
ドソンは8の教区に分けられている。
- ビドゥエイロス(サンタ・マリーア)
- オ・カストロ(サン・サルバドール)
- ドソン(サンタ・マリーア)
- アス・マセイラス(サン・レミシオ)
- サー(サンティアーゴ)
- サンギニェード(サンタ・マリーア)
- オ・シスト(サン・ショアン)
- ビラレージョ(サント・アンドレ)
参考文献・脚注
- ^ a b c “IGE(ガリシア統計局)” (ガリシア語). ガリシア自治州政府. 2013年9月22日閲覧。
- ^ Neira, Carlos (ガリシア語), Evolución no uso do galego por concellos, Praza Pública.
- ^ Dicionario Xeográfico Ilustrado de Galicia vol.10、p.7-8、Xeogal Publicacións、2009、ISBN 978-84-613-5820-5
- ^ “Lalín, partido judicial nº8 de Pontevedra” (スペイン語). Consejo General de los Procuradores de España. 2013年9月22日閲覧。
- ^ Poblaciones de hecho desde 1900 hasta 1991. Cifras oficiales de los Censos respectivos.
- ^ Cifras oficiales de población resultantes de la revisión del Padrón municipal a 1 de enero.
- ^ a b c d e “Consulta de Resultados Electorales” (スペイン語). Gobierno de España, Ministerio de Interior, Subsecretaría Dirección General de Política Interior. 2013年9月22日閲覧。
- ^ PSdeG-PSOEはPartido dos Socialistas de Galicia-Partido Socialista Obrero Español、全国政党スペイン社会労働党の地域支部政党のガリシア社会党。
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ラリン | ラリン | ロデイロ | ![]() |
ラリン | ![]() |
ロデイロ | ||
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オ・イリーショ(オウレンセ県) | オ・イリーショ、ピニョール(オウレンセ県) | ピニョール(オウレンセ県) |
「ドソン」の例文・使い方・用例・文例
- ハドソン川の下流
- 何か恐ろしいことがデイヴィッドソンさんの身に起こったんですよ。
- ハドソン教授は父の友人だ。
- ハドソンさんがどこに住んでいるか知っていますか。
- ニューヨークは、ハドソン川に面している。
- その市はハドソン川の東岸にある。
- ウィルソンの解法は、同じ定数を使用したという点でハドソンのものと類似している。
- ヘンリー ハドソンは今彼の名のついている大きな湾を発見した.
- ハドソン川.
- 激しい怒りで激震する?ハドソン・ストロード
- 別の場所に住んでいたため、守られた−W.H.ハドソン
- とても自然と親密なこの女の子−W.H.ハドソン
- ハドソンは、新たに発見した海の海岸にある彼の船を示した
- その活発な老人は、馬の上で、半生を過ごした−W.H.ハドソン
- アパートは、ハドソンを見晴らしている
- ニューヨークとニュージャージーの間のハドソン川にかかる吊り橋
- ハドソン川にかかるゲルバー橋
- 米国における芸術運動で、ハドソン・リバー派から生じた
- ハドソン湾の北マニトバにあるカナダの町
- ハドソン川の口とマンハッタン島の南端の近くでオランダ人によって確立された定住
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