監獄船
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監獄船(かんごくせん)とは監獄として利用されている船舶のこと。受刑者を流刑地へ護送するためにも使われる。
- ^ Brad William, The archaeological potential of colonial prison hulks: The Tasmanian case study
- ^ Charles F. Campbell, The Intolerable Hulks (2001)
- ^ Prison hulks on the Thames
- ^ PRISON SHIP MARTYRS MONUMENT - Historical Sign
- ^ Australian Dictionary of Biography, Neitenstein, Frederick William (1850–1921)
- ^ http://www.guardian.co.uk/world/2008/jun/02/usa.humanrights
監獄船
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「メイドストーン (潜水母艦)」の記事における「監獄船」の解説
1969年10月にメイドストーンは改装を受けたうえで再就役し、北アイルランド紛争に対応するため派遣されるイギリス陸軍部隊2,000名と共に北アイルランドのベルファストへ送られた。曳航されて到着したベルファストでは、増強される治安部隊の兵舎として使用された。 1971年、メイドストーンはデミトリウス作戦(英語版)において裁判なしで拘束された被拘禁者たちを捕えておく監獄船となった。メイドストーンに捕らえられた人々の中には、後にシン・フェイン党党首となるジェリー・アダムズ(英語版)もいた。 メイドストーンの監獄は艦尾部に設けられており、2層に分かれた2つの宿泊場所と2つの食堂があった。そしてそれらの上階にある元艦長室だった部屋には司令官と幕僚の部屋が設けられており、その上の上甲板では1日に2度訓練が行われた。上甲板は逃走防止のために高さ10フィート(約3m)の有刺鉄線で囲まれていた。メイドストーンはベルファスト港の岸から20フィート(約6.1m)の位置に停泊していて、その埠頭へ入るには、土嚢で築かれた陸軍の銃座を超えてこなければならなかった。 また、メイドストーンは1972年1月17日に艦内に収容されていたIRA暫定派メンバー7人が脱走した事件の舞台にもなった。メイドストーンから抜け出したメンバーは凍てつく海を300ヤード(約274.3m)泳ぎ、後に記者会見を行うために軍や警察の追跡を回避したのだった。
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