監獄教誨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:58 UTC 版)
仏式教誨室 キリスト教式教誨室 一般社会から隔離された生活を送る囚人の心の平穏に資したのが宗教である。監獄教誨の始まりは1872年7月に真宗大谷派の鵜飼啓潭が名古屋監獄における教誨を許可されたことに始まる。同年8月には同派の蓑輪対岳が佃島徒場(現・府中刑務所)で教誨を許可され、翌9月から教誨を行っている。1880年代には釧路集治監に派遣された原胤昭や北海道集治監空知分監に派遣された留岡幸助などによりキリスト教が進出し、労役環境の改善にも一役買っている。1881年改正監獄則に教誨師について規定されたが、地方費負担である監獄には負担が重く、各教派が負担することで派遣が実現されていた。そのため、財政上の理由で派遣を中止する教派も現れ、一時期は浄土真宗本願寺派と真宗大谷派による寡占状態になった。1900年の監獄費国庫支弁法により教誨師は国家公務員になったが、1947年に日本国憲法の政教分離原則により再び民間に戻った。1947年日本宗教連盟に宗教教誨中央委員会が設立され、1956年全国教誨師連盟が設立された。同連盟に各教派・宗派が参画し、2018年現在は同連盟を通じて各刑務所に教誨師を派遣している。
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