ナポレオン法典の家族観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
「民法典論争」の記事における「ナポレオン法典の家族観」の解説
仏民法典が近代的といわれるのは財産法であって、家族法では必ずしもそうではない。一部過激派によって兄弟姉妹間の近親相姦の自由すら主張された革命の熱狂期に対するカトリック的反動と、ナポレオンの軍事体制のために、原始規定では男権優越・家父長制を当然の前提とし、1970年代に根本的に修正されるまで、旧時代の価値観を温存していたことが多くの学者により指摘されている。 旧213条1項前段(1938年改正法) 家族の首長たる夫は家庭の住居を選定する権利を有す 旧214条 1.妻は夫と同居する義務を負ひ、夫が居住するに適せりと為す如何なる地へも夫に従ふべき義務を負ふ 旧374条 子は、満18年以後に、志願兵として入営する為に非ざれば、父の許可なくして父の家を去ることを得ず 旧376条 1.子が16年以下なるときは、父は裁判所の権力に依り其教育場収容を命ぜしむることを得 これらの家父権は公権力により強制執行できる(日本の通説・判例は反対、人身への直接執行はできず、期間中の扶養義務免除のほか損害賠償・離婚原因になり得るに止まる)。 妻に自由を与へることはフランスの国風に反する。夫は妻の行為を監視し、外出すべからず、劇場へ赴くべからず、この人かの人と交際するべからず、と命じることができなければならない。 — ナポレオン・ボナパルト 独創的であることが必要なのではなく、明晰であることが必要なのである。なんとなれば、われわれが作るべき立法は、一個の新興国民のためではなく、齢10世紀以上もの古い社会のためなのだからである。 — フランス民法起草委員ポルタリス その仏民法典も急進的に過ぎると考えられたために、王政復古期の1816年には離婚制度は全廃された。法定離婚(強制離婚)は1884・1886年に復活したが、協議離婚復活は1975年である(積極的破綻主義採用)。1985年には財産関係における男女平等が実現した。 家の中で不貞行為をした妻の殺害の免責規定(仏刑法旧324条)も1975年に削除されたが、21世紀のフランス社会に影響を残している。 近代西洋市民法の基礎が、妻に対する優越的な夫権を定める家父長制だったことは、21世紀では法学上の通説の地位を占め、仏法と日本の家制度の共通性を指摘・強調する傾向が有力である。
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