ナポレオン最初の失脚から復権まで (1813年-1815年)
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「アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)」の記事における「ナポレオン最初の失脚から復権まで (1813年-1815年)」の解説
ナポレオンの情勢は半島戦争以外でも壊滅的になっていた。彼が万全を期して1812年6月に開始したロシア侵攻は同年末までに破滅的な失敗に終わり、この情勢を見たプロイセン王国はロシアと同盟を組んでナポレオンに反旗を翻した。オーストリア帝国もビトリアの戦いでのイギリス軍の勝利を見て、ナポレオンと距離をとるようになり、1813年8月に至ってロシア・プロイセンと同盟してフランスに宣戦布告した。10月のライプツィヒの戦いでフランス軍が同盟軍に敗れた結果、ライン同盟諸国の大半もナポレオンから離反するに至った。 いよいよナポレオンに止めを刺す時が来たと判断したウェリントン侯爵は、1813年10月にスペイン・フランス国境のビダソア川を確保し、11月からフランス侵攻を開始した。バイヨンヌを包囲しようとしたが、これを恐れたスールト率いるフランス軍はトゥールーズに撤退した。ウェリントン侯爵はボルドーを占領し、さらにトゥールーズへ向けて進軍した。 一方ロシア・プロイセン・オーストリア同盟軍も東からフランス侵攻を開始し、1814年3月末にはロシア皇帝アレクサンドル1世率いる同盟軍がパリに入城した。同盟軍の占領下でタレーランを首班とする臨時フランス政府が樹立され、4月2日には元老院がナポレオン廃位を決定した。パリに戻れなくなり、フォンテーヌブローに留まっていたナポレオンも4月4日には退位を受け入れた。 一方ウェリントン侯爵の軍は4月10日にトゥールーズを攻略したが、翌11日にナポレオン側と同盟国側の交渉でナポレオンの無条件退位が正式に決まり、12日にウェリントン侯爵にもその情報が伝わった。これを聞いたウェリントン侯爵は「いい時期だ」と述べて喜び、同日のうちにフランス軍のスールト元帥との間に現地の停戦協定を結んだ。 ウェリントン侯爵は本国からこれまでの戦功を労われ、5月3日にウェリントン公爵(Duke of Wellington)に叙せられた。 王政復古してフランス王位についたルイ18世は、5月30日にも同盟軍とパリ条約を締結し、これによりフランス領土の範囲は1792年時の状態に戻ることになった。またフランスとオランダの植民地の多くをイギリスが獲得した。 ウェリントン公爵は、6月にイギリスに帰国したが、帰国するやただちに駐フランス・イギリス大使に任じられてパリに派遣されることになった。この任命はウェリントン公爵が若かりし頃にフランスの陸軍士官学校を卒業しており、フランス語とフランス旧体制アンシャン・レジームの機微に通じていたので、政府からフランス復古王政と交渉しやすい人物と目されていたためと見られる。もっとも、かねてよりフランス軍との対決姿勢を強めていたウェリントン公爵自身は、この任命を不可思議に思っていたという。 1814年末から開催されたオーストリア外相のメッテルニヒを議長とするウィーン会議にウェリントン公爵も参加した。イギリス代表は外相カスルリー子爵だったが、彼は1815年2月に本国に帰国したため、以降はウェリントン公爵がその代理としてイギリス代表となった。しかし会議そのものは、ロシアがポーランド、プロイセンがザクセンの領有権を主張して譲らなかったために紛糾し、「会議は踊る、されど進まず」と揶揄される状況になった。ウェリントン公爵もこの状況にあきれ果てたという。 そのあいだイギリス軍に監視されながらエルバ島の小領主をしていたナポレオンは、ルイ16世の弟のルイ18世がフランスの民心を得られない状況を見て、いまフランスに戻れば政権を取り戻せると判断し、エルバ島を脱出してゴルフ=ジュアン(フランス語版)に上陸した。ナポレオンは、復古王政を「反人民の封建主義体制」と批判し、皇帝政府に復帰することをフランス軍やフランス人民に訴えた。警戒したルイ18世はミシェル・ネイ元帥をナポレオン捕縛に派遣したが、ネイ元帥は途中でナポレオンに寝返った。他のフランス軍将軍たちも続々とナポレオンに寝返ったため、ナポレオンは無血でパリを奪還することに成功した。 この報告を聞いたウィーン会議出席中の各国首脳は、反ナポレオンで再び団結し、1815年3月12日にナポレオン排除を決議した。
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