ドイツ思想(ロマン主義・反資本主義)の影響
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第二次大戦末期に、日本が自殺戦術を正当化する目的で用いた「死の崇拝」は、古代由来ではない。それは軍国主義的な近代政治イデオロギーの一部であり、ヨーロッパ思想と日本の伝統の両方に起因していた。 様々な圧力下での「志願」を行なった特攻隊志願兵たちは、大多数がエリート大学の人文学系の学生だった(理科系の学生は「そう安易には犠牲にできない」と見られていた)。志願兵たちの手紙を見ると、彼らは読書家で、最低でも三ヶ国語以上の原文を読みこなしている。特に好まれていた例は、 ドイツ哲学(ニーチェ、ヘーゲル、フィヒテ、カント) ドイツ文学(トーマス・マン、シラー、ゲーテ、ヘッセ) フランス文学(ジード、ロマン・ロラン、バルザック、モーパッサン) だった。多くの者はマルクス主義的な政治・経済観を有しており、ソクラテスの自殺やキルケゴールの絶望(死に至る病)について考察している。また、少数の者はキリスト教徒でもあった。 確かに日本では、武士の自己犠牲が「切腹」という儀式的形で存在していたが、それは武士階級のみに許された特権であったし、戦争行為の形式ではなかった。特攻隊員たちの自己犠牲は、武士道や天皇崇拝の結果というより、ロマン主義的なナショナリズムの表れとなっていた。 隊員たちは、自分たちの犠牲が日本を勝利に導くとは滅多に信じていなかったが、死の「純粋さ」や「無私」が、より良く、より「公正」「本物」で、より「平等」な日本への道を示すことを願っていた。例えば、22歳で死亡した隊員・佐々木八郎はこう述べている。 なお旧資本主義態制の遺物の所々に残存するのを見逃すことはできない。急には払拭できぬほど根強いその力が戦敗を通じて叩きつぶされることでもあれば、かえって或いは禍を転じて福とするものであるかも知れない。フェニックスのように灰の中から立ち上がる新しいもの、我々は今それを求めている。 特攻戦術の発案者といわれる海軍中将・大西瀧治郎は、パイロットが飛び立つ前に この神風特別攻撃隊が出て、しかも(われわれが)万一負けたとしても、日本は亡国にはならない。これが出ないで負ければ真の亡国になる。 と告げた。日本降伏の翌日、大西は侍のような割腹自殺をした。
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ドイツ思想の影響
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19世紀以降、エジプトをはじめイスラム世界のエリートたちがヨーロッパ思想(世俗法や立憲主義など)を採用していく中で、「西洋」は金銭崇拝と同一視されるようになった。イスラム急進派はエジプトやインド等いたるところで、「西洋」とその「手先」のユダヤ人や、西洋化によって「堕落した」イスラム圏のリーダーたちに対する戦いを呼びかけた。1928年には「ムスリム同胞団」が、イスラム急進派によってエジプトで結成され、モットーをまとめた。 神は我らの目標。コーランは我らの憲法。預言者ムハンマドは我らの指導者。闘いは我らの方法。そして神のための死は、我らの最大の渇望。 「英雄的行為」を讃えるエルンスト・ユンガーは、他の20世紀初頭のドイツの知識人同様、イスラム世界に深い影響を与えた。彼の作品『線を越えて』は、1960年代にイランの著名な知識人アレ・アフマッドによって翻訳された。アレ・アフマッドはユンガーを崇拝しており、「西洋思想の有害な影響」を、「ウェストキシフィケーション」(Westoxification 西洋毒化)という造語で表現した。翻訳を手伝った友人マフマト・フマンも、翻訳後に「二つの目で見たが問題は一つ。二つの言語で語ったが主張は一つ」とし、ユンガーのメッセージの普遍性を強調した。
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