ドイツ式軍服の導入~第一次世界大戦前後
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「軍服 (トルコ)」の記事における「ドイツ式軍服の導入~第一次世界大戦前後」の解説
20世紀に入り、ロシア帝国が主導する汎スラヴ主義への対抗からオスマン帝国はドイツ帝国との提携を強め、第一次世界大戦もドイツ・オーストリア側に立って参戦した。このことは軍服にも反映し、特に陸軍の軍服には折襟仕立ての上着、肩章、長靴などにドイツ軍の影響を強く受けたものが着用されるようになり、またドイツ軍が大戦中に開発したヘルメットも導入された。ただ、生地色にはドイツ軍の戦闘軍装に一般的な緑灰色ではなくカーキ色が用いられ、また制帽には引き続きフェス帽が用いられた。1910年8月3日の軍帽令により、将校は勤務日および公式の休日にカーキ色のアストラガン・カルパクの着用を義務付けられた。第一次世界大戦中、陸軍ではフェズが廃止され「ラズ帽」として知られていたタイプの帽子が採用され、エンヴェル・パシャの名前をとって「エンヴェリイェ」と呼ばれるようになった。また、海軍では、ジェマル・パシャが新しいタイプの帽子を採用し「ジェマリイェ」と呼ばれた。 フェズを着用するエンヴェル アストラガン・カルパクを着用するエンヴェル ザンデルス・パシャとオスマン軍将校 アストラガン・カルパクを着用するムスタファ・ケマル(椅子に座っている)とオスマン軍将校、1918年。 アレッポの街を行進するオスマン軍歩兵 パレスティナ戦線のオスマン軍砲兵 エンヴェリイェを着用するエサド・パシャ、ガリポリ戦線 オスマン軍捕虜 1922年11月1日の帝制廃止を受けて、ドルマバフチェ宮殿の裏口から同宮殿を後にする最後の皇帝メフメト6世と、それを見送る軍人たち。
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