死の崇拝
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死の崇拝(しのすうはい、英語: death cult〔デス・カルト〕, Death-Worship〔デス・ワーシップ〕)とは、自殺攻撃的・自爆テロ的な思想[1][2]、ディストピアにおけるイデオロギー[3][4]。
- 死の崇拝(Death-Worship)[3][5]。ディストピア小説『1984年』に登場する国家イースタシア(Eastasia 東アジア)のイデオロギーで、「滅私」[3]または「自己滅却」[4]ともいう。
出典
- ^ a b イアン・ブルマ、アヴィシャイ・マルガリート 著、堀田江理 訳 『反西洋思想』新潮社、2006年、101頁。ISBN 978-4106101823。
- ^ a b c Buruma, Ian; Avishai, Margalit (2005). Occidentalism: The West in the eyes of itsenemies (Kindle ed.). Penguin. p. 1911 in 2294 (Kindle No.) Kindle版:ASIN B002DYMBTE
- ^ a b c 見田宗介「まなざしの地獄」 『リーディングス日本の社会学』 12巻、東京大学出版会、1985年、134頁。
- ^ a b ジョージ・オーウェル 著、新庄哲夫 訳 『一九八四年』グーテンベルク21、PT171頁 。
- ^ George Orwell (2017). Nineteen Eighty-Four. Project Gutenberg
死の崇拝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:25 UTC 版)
「死の崇拝」および「イングソック#オセアニア以外の大国のイデオロギー」も参照 哲学者・記号学者・オックスフォード大学名誉研究員のウンベルト・エーコによると、結束主義(ファシズム)は様々な矛盾や形態を持っているが、その中でも典型的特徴を備えたものは「原ファシズム(Ur-Fascism, Ur-Fascismo)」または「永遠のファシズム(Eternal Fascism, fascismo eterno)」という。原ファシズムにおける、英雄主義と「死の崇拝」(死万歳)との関連について、エーコは次の通り論じている。 こうした見通しに立って、<一人ひとりが英雄になるべく教育される>ことになります。神話学において、「英雄」はつねに例外的存在ですが、原ファシズムのイデオロギーでは、英雄主義とは規律なのです。その英雄崇拝は「死の崇拝」と緊密にむすびついています。ファランヘ党の合言葉が「死万歳!」であったことは偶然ではありません。ふつうの人びとになら、死ぬのはいやだろうけれど尊厳をもって立ち向かいなさい、と言うものですし、信仰者に対しては、死は神の意志による幸福に到達するための悲痛な方法なのです、と言うものです。ところが原ファシズムの英雄は、死こそ英雄的人生に対する最高の恩賞であると告げられ、死にあこがれるのです。原ファシズムの英雄は死に急ぐものです。そのはやる気持ちが、実に頻繁に他人を死に追いやる結果になるのだということは、はっきり言っておくべきです。 原ファシズムには「伝統崇拝」(cult of tradition)という特徴もあり、これはフランス革命後の反革命思想に典型的だとされる。
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