暗殺宗派の「伝統」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:25 UTC 版)
『反西洋思想』によると、イスラム自体は「死の崇拝」ではないが、にも関わらずオサーマ・ビン=ラーディンの言葉に歴史的由来は見出される。11世紀~12世紀間、至福千年説を信奉するシーア派の異端的宗派「暗殺教団」が、「不正な統治者と従者」を殺害する使命を自任していた。彼らは少数の選ばれた者のみ「救済」が間近だとし、それは神聖なるリーダー(イマーム)の秘密知識によってもたらされるとした。「暗殺教団」はシリアやペルシャの要塞に潜み、リーダーへの絶対的服従を儀式的自殺によって表現した。命令なら、崖から身を投じた。殺人行為は「神聖な義務」であり、殺人後は自ら「名誉ある死」を遂げることになっていた。 理由が何であれ、彼らの特殊戦法は失敗し、暗殺教団の活動はモンゴル軍に打破され、13世紀中頃までに終わった。しかしこれで、宗教的反逆者が被抑圧層・貧困層・不満を抱く層に向けて「この世に神の王国を復興するため死ぬまで戦い続けよう」と呼びかけるパターンが確立された。そのような「死の崇拝」に訴えたイスラムのリーダーたちは、自分たちが倒そうとした当の支配者の牢屋で死ぬことがほとんどだった。
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