トラヤヌスの侵入とは? わかりやすく解説

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トラヤヌスの侵入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:41 UTC 版)

パルティア」の記事における「トラヤヌスの侵入」の解説

ヴォロガセス1世治世末期少なくとも78年4月からセレウキアパコルス2世在位78年頃~115年頃)が王としてコイン発行しているのが確認されている。彼とヴォロガセス1世の関係は確執があったであろうこと以外ほとんど何もわからない80年から81年にかけては別の王位主張者、アルタバノス3世(アルタバーン3世在位80年頃-81年頃)がやはりセレウキアコイン発行している。パコルス2世82年83年までには対立する王たちを駆逐していたが、長期に渡る統治にもかかわらずセレウキアクテシフォンでの彼のコイン発行には空白期間数多く見られ支配安定しなかったと見られる105年106年にはパコルス2世対立する王としてヴォロガセス3世(ワルガシュ3世在位105年頃-147年)が登場し109年110年にはパコルス2世兄弟義兄弟オスロエス1世王としてコイン発行し始めた年代記録したパコルス2世コイン97年最後に一度例外除き途絶えているが、101年後漢使者派遣した安息パルティア)王満屈復はパコルス2世であると推定され、またローマで皇帝トラヤヌス在位98年-117年)に反抗したダキア人デケバルスパコルス2世使者送っていることなどから、対抗者が立った後もしばらくの間王として地位維持していたと見られるこの間パルティア事情はほとんど詳らかでない。 110年代初頭パルティアオスロエス1世アルメニア王位継承介入しローマ相談することなくアルメニア王シナトルケス英語版)を廃立し、パコルス2世息子アクシダレスを擁立すると、ローマ皇帝トラヤヌス軍事介入決定し、再びローマとの戦い始まった113年オスロエス1世はこのローマ軍脅威受けてアクシダレスを廃位し、代わってやはりパコルス2世息子で、アクシダレスの兄弟であるパルタマシリスを改めアルメニア王とし、トラヤヌス戴冠するという妥協案を提示したトラヤヌスはこの提案拒絶し、前114年春にシリアアンティオキア移動5月にはアルメニアとの国境都市サタラに着陣して、ドナウ方面からの分遣隊を含む8個ローマ軍団からなる空前規模ローマ軍集結させた。トラヤヌスアルメニア侵入開始するとパルタマシリスは戦わず降伏した処刑されアルメニアローマ属州であることが宣言された。ローマ軍はルシウス・クイエトゥス(英語版)の指揮アディアベネ領域にあったニシビスも占領した。これは北メソポタミア平原を横切る全ての主要街道確保するために不可欠であった翌年トラヤヌスメソポタミア侵攻したが、アディアベネのメバルサペス(英語版)による微弱な抵抗しか受けなかった。メバルサペスが打ち破られた後、オスロエネ英語版)のアブガルス7世はローマ鞍替えすることを決定しトラヤヌスによって地位安堵された。トラヤヌス115年から116年にかけての冬をアンティオキア過ごし116年春に遠征再開したユーフラテス川下って進軍しアディアベネ主要都市占領した後、ドゥラ・エウロポス、そして首都クテシフォンセレウキア占領し、更にカラケネ服属させた。こうしてティグリス川ユーフラテス川河口部までがローマ占領下入りオスロエス1世逃走したここまで過程で、パルティアによる組織的な抵抗はほとんどなされなかった。これは同時期にパルティア分裂内戦直面していたためであると考えられるメソポタミア侵攻対し僅かでもローマ軍抵抗したのはオスロエス1世であったが、セレウキアでのコイン発行状況から、ヴォロガセス3世オスロエス1世との激し争い継続していたことは明らかであり、パコルス2世もまだ生存して権力主張していた可能性もある。 ローマ軍奪われ領土奪回するためオスロエス1世の甥のシナトルケス2世各地で反ローマ反乱扇動し、軍を東パルティア集めた。しかし、シナトルケス2世への援軍率いて合流したオスロエス1世息子パルタマスパテスシナトルケス2世対立し、彼を裏切ってトラヤヌス通じた結果としてシナトルケス2世死亡しパルタマスパテストラヤヌスによって116年クテシフォンパルティア王に戴冠された。 トラヤヌス北へ戻ると、バビロニア住民ローマ軍守備隊対し反乱起こしたトラヤヌス占領地主要部分を属王に与えると、117年メソポタミアから撤退し交通上の要路であるハトラの再占領着手したトラヤヌス撤退は(彼の意図としては)一時的なものであったなぜならば彼は118年パルティアへの攻撃再開しパルティア人を真に服属させる」つもりであったためである。だが、トラヤヌスは健康を損ない117年8月死亡した遠征最中トラヤヌスはパルティクス(Parthicus)の称号元老院から付与されコインパルティア征服宣言している。4世紀歴史家エウトロピウスとフェスティス(英語版)はトラヤヌスメソポタミア下流ローマ属州設置しよう試みたのだと主張している。

※この「トラヤヌスの侵入」の解説は、「パルティア」の解説の一部です。
「トラヤヌスの侵入」を含む「パルティア」の記事については、「パルティア」の概要を参照ください。

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