デトロイト砦の奪取
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 07:17 UTC 版)
「アイザック・ブロック」の記事における「デトロイト砦の奪取」の解説
アメリカ合衆国は1812年6月12日にイギリスに対する宣戦を布告した。ブロックは現状の準備では植民地全体の安全を守るには不十分だと感じたので、逆に攻勢に出て、戦略上重要なマッキナック砦を奪取する行動に出た。この作戦は完全な成功であったが、ブロックはまだ足りないと思った。これらの努力はジョージ・プレボスト総督(1811年にクレイグの後任となった)が戦争に対しては慎重な態度を採っていたことにより、邪魔されることになった。プレボストは防衛に専念することに重きをおき、アメリカ領土への攻撃には反対していた。 7月12日、アメリカ軍はウィリアム・ハルの指揮でサンドウィッチ(現在のオンタリオ州ウインザー)からカナダに侵攻した。この侵攻は直ぐに停止され、ハルは撤退したが、ブロックはこれをプレボストの命令に背く言い訳に使った。ブロックはテカムセの援助を確保してデトロイトに向かった。この時点で、インディアンの数を含めても、ブロックの兵力はほぼ2対1で負けていた。しかし、ブロックはハルを臆病な男と推測し、特にテカムセ達インディアンを恐れていると思った。ブロックはハルを脅すための幾つかの仕掛けを使うことにした。まず、援軍を謝絶する伝言(表面上プレボスト宛て)をハルの手に入るようにした。そこに書かれた理由は、インディアンの協力で十分に砦を落とせることとし、すなわちこれ以上のイギリス軍は要らないとしていた。次に、民兵に正規兵と同じ服装をさせ、全軍が農夫や商人ではなく正規歩兵であるかのように見せた。こうして、デトロイト砦を包囲すると、サンドウィッチの町の川向こうに大砲を据え、慎重に仕組まれた行軍を何度も行って、実際以上にインディアン同盟軍がいるように見せかけた。もう一つ、テカムセの部隊にできるだけ騒々しい音を立てさせてその兵力を偽装し、とても制御出来ないようなインディアン集団が居るように印象づけてハルを怯えさせた。最後に、ブロックはハルに降伏を要求する文書を送った。次はその一部である。 「撲滅のための戦争は私の意図するところではないが、いざとなると私では制御できなくなる多くのインディアン戦士が我々の軍隊と共にあることをお気付きいただきたい」 これに続いて大砲の砲弾を砦に向けて放たせた。8月16日、ブロックの文書を受け取って2時間後にハルは無条件降伏した。ハルは年長であり、軍隊での最近の経験がなかったので、降伏しなかった場合に受けるインディアンの拷問を酷く恐れた。 デトロイト砦の奪取はアメリカの士気を損ない、その地域のアメリカ軍の脅威を取り除いたことで、ブロックにとって大きな勝利であった。翻ってカナダ人の士気は大いに上がった。ブロックはアメリカ軍の物資を抑え、装備の薄い民兵に配分することで自軍の戦力を上げた。最後に、戦うことを能力の印でありやる気を示すことであると考えるテカムセや他のインディアン酋長達の支援を確固たるものにした。 テカムセの支援を得るために、ブロックはショーニー族に対して多くの約束をした。独立した母国を指向するショーニー族への相談無しでは停戦の交渉を行わないと約束した。テカムセの支援が必要だったブロックにとってこれは疑いもない条件であったが、ブロックが裏切って交渉したという証拠もない。また、テカムセはブロックを信頼し尊敬しており、初めての会合の後で、「これが男だ」と言ったと伝えられている。 ブロックはデトロイト砦奪取の功績に対してナイトの称号を受けたが、その知らせが届く前にクィーンストン・ハイツの戦いで戦死した。デトロイト砦の奪取はミシガン準州の大部分のイギリス支配も可能にした。ブロックはアメリカ領内への侵攻作戦を続ける作戦を練ったが、プレボストがアメリカのヘンリー・ディアボーン少将と停戦交渉を始めており、それ以上の行動に移せなかった。このことがブロックの動きを失速させ、アメリカ軍は軍隊を再編してカナダ侵攻の準備をする時間を得た。ブロックは、アメリカ軍が侵攻してくる地点を予測できず、躍起になってアッパー・カナダ全体の守りの備えのために働いた。
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