ダイアモンド・ジュビリーとは? わかりやすく解説

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ダイヤモンドジュビリー

別表記:ダイアモンドジュビリー
英語:Diamond Jubilee

君主在位60年記念式典を指す語。19世紀英国女王ビクトリア2012年6月現在在位中のエリザベス2世などがダイヤモンドジュビリーを迎えている。

ダイヤモンドジュビリー (競走馬)

(ダイアモンド・ジュビリー から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/09 06:49 UTC 版)

ダイヤモンドジュビリー
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1897年
死没 1923年7月18日[1]
セントサイモン
パーディタ
生国 イギリス
生産者 プリンス・オブ・ウェールズ
(のちのエドワード7世
馬主 プリンス・オブ・ウェールズ
調教師 リチャード・マーシュ(イギリス
競走成績
生涯成績 13戦6勝
獲得賞金 28,185ポンド
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ダイヤモンドジュビリーDiamond Jubilee)は、19世紀末から20世紀初頭に活躍したイギリス競走馬種牡馬である。1900年イギリスクラシック三冠を制した。種牡馬としては主にアルゼンチンで優れた産駒を残した。

誕生・性格

アルバート・エドワード皇太子(のちのエドワード7世)によって生産・所有された。母パーディタはエドワード7世がデイヴィッド・ファルコナーから900ギニーで購入した馬で、セントサイモンとの間に何頭も活躍馬を出した。全兄フロリゼルパーシモン、サンドリンガムがいる。

馬名はヴィクトリア女王在位60周年を記念してつけられたものである[2]

その気性は、重度の気性難だった父・セントサイモンの産駒の中でも最悪に近いものだった。「悪魔の気性」を持つとまで言われるほどの凶暴な性格の持ち主で、馬丁の指を食いちぎるなど、まともに扱えるものは少なかったという。激しい気性でまともなレースにならないことも多く、レース中にレースそっちのけで騎手を振り落とそうとしたり、パドックでは見物人を蹴飛ばそうとしたり、スタート前やレース中に騎手を振り落として暴走したりと無茶苦茶で、2歳時は6戦して1勝に終わっている。こういった気性が非常に荒い競走馬の対策の一つに去勢手術を受けさせることがあるが、本馬の場合は停留精巣を起こしていたため、その当時の獣医学ではこの状態の馬を去勢することは不可能であった。

大抵の騎手はまともに乗れず、挙句の果てに踏み殺されそうになったりしたため、ほどなく騎手の誰もが乗るのを嫌がるようになり、やむなく担当厩務員のハーバート・ジョーンズを騎手として乗せてクラシックに挑んだ。なお、後にジョーンズは正規の騎手となって活躍しており、1913年のエプソムダービーでトラックに飛び出したエミリー・デイヴィソンと騎乗馬が衝突して重傷を負う不運に見舞われつつも(デイヴィソンは死亡)、1923年に引退するまで騎手として活躍した。しかし晩年は難聴に悩まされ、更に妻の死やうつ病の発症といった不運も重なり、1952年、70歳の時に自宅でガス自殺を遂げた。

引退後、アルゼンチンに渡ってからも性格はまったく改善しなかった。

  • あるとき体調を崩したが、その凶暴性と危険性からまともに薬を与えられないので、棒に薬を塗って目の前に差し出し噛みつかせることで薬を与えた。
  • 馬房に迷い込んだ浮浪者の腕を食いちぎろうとした。
  • 脱走して近くの町に逃げ込んだ際に行く手を遮ろうとした男子生徒たちに怒り狂って、その輪に突撃した(その後も暴走を続けて最終的にで捕らえられた)。

など、数々の逸話と悪名が伝わっている[1]

火のような性格に加え、用心深さとずる賢さまで兼ね備えていたため、本馬の制御は最期まで困難を極めた。

競走成績・種牡馬成績

勝った大レースは2000ギニーエプソムダービーセントレジャーステークスの三冠の他、ニューマーケットステークス、エクリプスステークスがある。2000ギニーは4馬身差、ダービーは兄パーシモンが記録したレコードと同タイム、セントレジャーはレース前20分も暴れた上での勝利、エクリプスステークスもレコードと気性さえクリアできれば非常に強い馬であった。

種牡馬としては1902年からサンドリンガム王立牧場で、1906年からアルゼンチンのLas Ortigas馬牧場で供用された。イギリスでは既にセントサイモン系種牡馬が多数存在している状況下大きな成功は望めず(1902年の種牡馬ランキング1位は全兄パーシモン、2位は父セントサイモン。全兄フロリゼルも上位に入っていた)、ジョッキークラブステークス勝ち馬サンシーを出した程度に終わったが、アルゼンチンでは大成功し1914年1916年, 1921年の4度種牡馬首位になった。種牡馬の父としても優秀で、短期間ではあるが南米で一大父系を形成した。

おもな産駒

血統表

ダイヤモンドジュビリー血統セントサイモン系 / Voltigeur (Volley) 4×5.5=12.50%) (血統表の出典)

St.Simon
1881 黒鹿毛
父の父
Galopin
1872 鹿毛
Vedette Voltigeur
Mrs.Ridgway
Flying Duchess The Flying Dutchman
Merope
父の母
St.Angela
1865 鹿毛
King Tom Harkaway
Pocahontas
Adeline Ion
Little Fairy

Perdita II
1881 鹿毛
Hampton
1872 鹿毛
Lord Clifden Newminster
The Slave
Lady Langden Kettledrum
Haricot
母の母
Hermione
1875 黒鹿毛
Young Melbourne Melbourne
Clarissa
La Belle Helene St.Albans
Teterrima F-No.7-f


脚注

  1. ^ a b Thoroughbred Heritage
  2. ^ Thoroughbred Bloodlines

外部リンク


ダイヤモンド・ジュビリー

(ダイアモンド・ジュビリー から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/13 05:47 UTC 版)

ダイヤモンド・ジュビリー・ウィンドウ(インド・プネ工科大学)

ダイヤモンド・ジュビリー: diamond jubilee)とは、60周年の記念日[1][2]、或いは60周年の記念式典[1][2]。特に、君主の即位や、団体の創設を記念する文脈で用いられる[3]

人物ではなく、団体の場合は、[要出典]75周年を「ダイヤモンド・ジュビリー」とする例もある[4][例 1][例 2][例 3][例 4]

ダイアモンド・ジュビリーとも表記される[5]

イギリスと英連邦諸国

ヴィクトリア女王の治世60年を記念する集会所の時計(イングランドグロスタシャーのウォットン・アンダー・エッジにて)。時計は"1837 - 1897"を指している。

元来、ダイヤモンドジュビリー75周年記念を意味していた。これは、シルバーが25周年、ゴールデン50周年に続き、ダイヤモンドが75周年で、いずれも25の倍数になっている。しかし、英国でヴィクトリア女王の即位60周年がダイヤモンド・ジュビリー英語版として1897年6月22日に祝賀されて以来、60周年記念に変化した[要出典]

エリザベス2世のダイヤモンド・ジュビリー英語版は、2012年の年間を通して英連邦諸国中で祝された[6]国王ジョージ3世は在位60年となる1820年にダイヤモンド・ジュビリーを迎える数か月前に死去した[要説明]

その他の国々

東アジアでは、通例「ダイヤモンド・ジュビリー」と呼ばれることはないが、ちょうど60年で一巡する干支がそれに相当するものとして、伝統的に節目の年とされてきた。

皇帝である康熙帝乾隆帝日本天皇である昭和天皇タイ王国国王であるプーミポン・アドゥンヤデートが各々、即位60周年に際して祝賀された。

そのほか、大韓民国は2005年に、中華人民共和国は2009年に、それぞれ建国60周年を祝った。

南アジアでは、ダイヤモンド・ジュビリーは100週記念を祝う際の用語としても使用される。たとえば、インドパキスタンには、映画館での上映期間が100週以上となった映画を指す「ダイヤモンド・ジュビリー映画」なる言い回しがある。

世界最長の在位期間を経験したスワジランドソブーザ2世は、戴冠から60年を迎えた1981年にダイヤモンド・ジュビリーを祝された。

在位60年記念を祝賀された君主の一覧

肖像 君主 即位日 記念祭 詳細
女王ヴィクトリア イギリスおよび残りの大英帝国の国々 1837年6月20日 1897年6月22日[7] 女王ヴィクトリアのダイヤモンド・ジュビリー英語版
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世 オーストリア帝国
オーストリア=ハンガリー帝国
1848年12月2日 1908年6月12日  
イブラヒム英語版 ジョホール王国 1895年9月7日 1955年9月17日
国王ソブーザ2世 スワジランド 1899年12月10日 1959年12月
昭和天皇 日本 1926年12月25日 1986年4月29日[8] 天皇陛下御在位六十年記念式典
国王ラーマ9世  タイ王国 1946年6月9日 2006年6月10日 ラーマ9世在位六十年記念式典英語版
女王エリザベス2世 イギリス
オーストラリア
カナダ
ニュージーランド
及び他の12の英連邦王国
1952年2月6日 2012年6月2日 - 5日 エリザベス2世のダイヤモンド・ジュビリー英語版
アーガー・ハーン4世 シーアイスマーイール派 1957年7月11日 2017年7月11日

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b diamond jubilee”. Cambridge Dictionary from Cambridge Advanced Learner's Dictionary & Thesaurus. Cambridge University Press. 2017年12月8日閲覧。
  2. ^ a b 「ダイヤモンド・ジュビリー」を祝いましょう!”. London.navi.com (2012年5月17日). 2017年12月8日閲覧。
  3. ^ diamond jubilee”. OxfordDictionaries.com. 2017年12月8日閲覧。
  4. ^ diamond jubilee”. CollinsDictionary.com. Collins English Dictionary – Complete & Unabridged 11th Edition.. 2017年12月8日閲覧。
  5. ^ 自主ツアーガイドブック 日本語 JAPANESE” (PDF). Legislative Assembly of British Columbia. pp. 8-9 (2017年). 2017年12月8日閲覧。
  6. ^ “Extra bank holiday to mark Jubilee”. Press Association. (2010年1月5日). オリジナルの2010年1月5日時点におけるアーカイブ。. https://webcitation.org/5mYhY2Lxk?url=http://www.google.com/hostednews/ukpress/article/ALeqM5iFc6Cmk-AJ72Mo5lMkmGuUqHSxIw 2010年1月5日閲覧。 
  7. ^ "Queen Victoria's Diamond Jubilee"
  8. ^ 昭和天皇が流した涙”. 文藝春秋 (2009年11月2日). 2017年12月6日閲覧。

関連項目

(以下に挙げるように、必ずしも間隔が一定ではない)


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