ラフレッシュ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 09:05 UTC 版)
ラフレッシュ | |
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欧字表記 | La Fleche |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 黒鹿毛 |
生誕 | 1889年 |
死没 | 1916年4月22日 |
父 | セントサイモン |
母 | クァイヴァー |
生国 | ![]() |
生産者 | ヴィクトリア女王 |
馬主 | モーリス・ド・ヒルシュ |
調教師 | ジョン・ポーター →リチャード・マーシュ |
競走成績 | |
生涯成績 | 24戦16勝 |
獲得賞金 | 34,703ポンド |
ラフレッシュ (La Fleche) は、19世紀末に活躍したイギリスの競走馬・繁殖牝馬。大種牡馬セントサイモンの代表産駒の一頭であり、ヴィクトリア女王の生産馬でもある。おもな勝ち鞍はイギリス牝馬クラシック三冠、アスコットゴールドカップなど。牡馬相手のエプソムダービーにも大本命で出走したが、騎乗ミスが原因で2着に敗れた。
生涯
La Fleche(フランス語で矢)は母Quiver(矢筒)からの想像。2歳時のイヤリングセールでは、均整のとれた優れた馬体、父が歴史的大種牡馬、加えて全姉メモワール (Memoir) がオークス、セントレジャーステークスの変則二冠を達成した直後ということもあり牝馬でありながら5,500ギニーのレコード価格で取引された。気性難で知られるセントサイモン産駒にしてはめずらしくおとなしい気性だったと伝えられている。
ラフレッシュは2歳から3歳にかけて無敵の強さを誇り、無敗で1000ギニーに圧勝した。そして、僚馬オーム (Orme) が水銀を盛られエプソムダービーに出走できなくなったことから、勇躍エプソムダービーにも挑戦、ここでも2.1倍の圧倒的な1番人気に推された。しかし、騎手が2日後のオークスのために楽に勝たせようと仕掛けを遅らせたため、シャンペンステークスで7馬身半差もちぎったサーユーゴ (Sir Hugo) に逆に4分の3馬身差でやぶれる結果になってしまった。秋のセントレジャーステークスではサーユーゴに圧勝し実力差を見せている。この勝利で史上4頭目の三冠牝馬になった。
2,3歳時、牡馬混合戦を含む13戦12勝と圧倒的な成績を残したラフレッシュだが4歳になると厩舎が変わったことも影響し低迷する。4歳時をエクリプスステークス3着など7戦2勝で3歳時の成績からいえば不本意な成績で終えた。しかし、5歳になり若干立て直す。当時古馬の最高峰のひとつであったアスコットゴールドカップを制覇、10月にはお腹に仔を宿したままチャンピオンステークスに勝ち有終の美を飾った。
ラフレッシュの繁殖成績は競走成績から比べれば若干物足りないものではあったが、両親ともに三冠馬+アスコットゴールドカップ優勝馬という配合のジョンオガウント (John o'Gaunt) がクラシックで好走し、種牡馬としてもスウィンフォード (Swynford) を出した。もう一頭の産駒バロネスラフレッシュ (Baroness La Fleche) が牝系を伸ばし、ヤマブキオー、メジロムサシ、サンデーサイレンス、ファビラスラフインといった名馬を輩出し続けている。
繁殖牝馬としても1912年に引退し、その後はスレドメア牧場で余生を送っていたが、1916年4月22日に老衰により死亡、27歳であった。
競走成績
- 1891年(4戦4勝)
- 1892年(9戦8勝)
- セントレジャーステークス、オークス、1000ギニー、ナッソーステークス、ケンブリッジャーステークス、ニューマーケットオークス、2着 - エプソムダービー
- 1893年(7戦2勝)
- 1894年(4戦2勝)
- アスコットゴールドカップ、チャンピオンカップ、2着 - ハードウイックステークス
産駒
- ジョンオガウント(2000ギニー、エプソムダービーともに2着。全1勝。産駒にスウィンフォード)
- バロネスラフレッシュ(牝系残存)
血統表
ラフレッシュの血統(セントサイモン系 / Voltaire5×5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父
St Simon 1881 黒鹿毛 |
父の父
Galopin1872 |
Vedette | Voltigeur | |
Mrs. Ridgway | ||||
Flying Duchess | The Flying Dutchman | |||
Merope | ||||
父の母
St.Angela1865 |
King Tom | Harkaway | ||
Pocahontas | ||||
Adeline | Ion | |||
Little Fairy | ||||
母
Quiver 1872 鹿毛 |
Toxophilite | Longbow | Ithuriel | |
Miss Bowe | ||||
Legerdemain | Pantaloon | |||
Decoy | ||||
母の母
Young Melbourne Mare |
Young Melbourne | Melbourne | ||
Clarissa | ||||
Brown Bess | Camel | |||
Brutandorf Mare F-No.3-e |
外部リンク
- 競走馬成績と情報 JBISサーチ
ラ・フレーシュ
(ラフレッシュ から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/12/26 14:06 UTC 版)
La Flèche | |
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![]() ![]() |
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行政 | |
国 | ![]() |
地域圏 (Région) | ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏![]() |
県 (département) | サルト県![]() |
郡 (arrondissement) | ラ・フレーシュ郡 |
小郡 (canton) | ラ・フレーシュ小郡 |
INSEEコード | 72154 |
郵便番号 | 72200 |
市長(任期) | ギィ=ミシェル・ショーヴォー (2008-2014) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes du Pays Fléchois |
人口動態 | |
人口 | 15,258人 (2007) |
人口密度 | 人/km² |
住民の呼称 | Fléchois |
地理 | |
座標 | 北緯47度41分45秒 西経0度04分29秒 / 北緯47.69590949661114度 西経0.07467806339263916度座標: 北緯47度41分45秒 西経0度04分29秒 / 北緯47.69590949661114度 西経0.07467806339263916度 |
標高 | 最低:23 最高:103 |
面積 | 74.21km² |
公式サイト | www.ville-lafleche.fr |
ラ・フレーシュ (La Flèche)は、フランス、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、サルト県のコミューン。
地理
ロワール川(サルト川の支流)谷に位置する。グリニッジ子午線上にある。
歴史
ラ・フレーシュという名の起源は明らかでない。歴史家ジャック・テルモーは、大地に置いた石から、古いラテン語fixa(フランス語でfichée、置く)に関連するとみなしている。したがって、ラ・フレッシュはメーヌ地方の町とアンジュー地方の町との境界であったことになる。古い巨石の境界は昔の写本に記されたようなFixaの名を与えた。後にFixa andegavorumと呼ばれたが、これはアンジュー地方の境界であったことを意味する。
中世のラ・フレーシュは、アンジュー司教座の教区であった。
1343年、フィリップ6世によって塩が国家の独占品となり、塩税が設置された。アンジューは塩税の高い地方で、ラ・フレーシュは16箇所ある塩貯蔵所の1つとなっていた。アンシャン・レジーム期、ラ・フレーシュはアンジューのセネシャル(sénéchaussée angevine、セネシャルとは直訳すると執事長)のもとにあった。
1603年、アンリ4世の友であったラ・フレーシュ領主ギヨーム・フーケ・ド・ラ・ヴァレンヌは、アンジュー地方の町の機能多様化と美化に貢献した。アンリ4世が設立した神学校は、イエズス会に運営が託された。1762年にイエズス会が追放されると、1764年に神学校はパリのエコール・ミリテール(士官学校)の準備学校である陸軍幼年学校となった。
17世紀、ラ・フレーシュ人たちはジェローム・ル・ロワイエ(fr)の指揮の元でモントリオール建設に参加した。
1790年、フランスに県制度が新設され、ラ・フレーシュを含むアンジュー北東部はサルト県となった。ヴァンデ戦争中の12月8日、ラ・フレーシュの戦いでコミューンはヴァンデ軍に襲われた。
見所
- ラ・フレーシュ陸軍幼年学校(fr)
- カルム城
- ラ・フレーシュ動物園 - 1946年創設。フランス最古の私立動物園
- フーケ・ド・ラ・ヴァレンヌ邸
- モンヌリー浜 - ロワル河岸の蛇行地点にある湖沼と野原。
姉妹都市
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