タイガーマスクとして活躍とは? わかりやすく解説

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タイガーマスク(2代目)として活躍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:48 UTC 版)

三沢光晴」の記事における「タイガーマスク2代目)として活躍」の解説

1984年春、三沢越中とともにメキシコ遠征出発した当初越中三沢ともに本名試合出場していたが、後に越中柔道空手連想させる白の道着風のロングトランクスに「必勝と書かれた鉢巻巻いて日章旗持った出で立ちの『サムライ・シロー』、三沢は赤ラメジャンパーに白いライン入った赤のロングタイツという出で立ちの『カミカゼ・ミサワ』というリングネーム改名し試合出場していた。しかし、数か月経ったある日三沢馬場から国際電話で「コーナーポスト飛び乗れるか」と問われ飛び乗れると答えたところ直ち帰国するよう命じられた。三沢7月22日メキシコから日本極秘帰国し馬場から2代目タイガーマスクとなるよう命令を受ける。三沢初代タイガーマスク佐山聡)のファンから二番煎じ扱いされるのではと抵抗感じたが、2代目タイガーマスク全日本ジャパンプロレス梶原プロダクション日本テレビによる一大プロジェクトとなっており、すでにデビュー戦スケジュール組まれていた。 2代目タイガーマスクとなった三沢7月31日蔵前国技館大会にてお披露目され、8月26日行われた田園コロシアム大会でラ・フィエラ戦でデビューした当初ジュニアヘビー級戦線活躍し初代佐山相手に「虎ハンター」と称され小林邦昭との抗争を展開。1985年8月31日には小林破ってNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座獲得したが、同年10月ヘビー級転向した1986年にはアメリカ遠征し4月19日NWAジム・クロケット・プロモーションズルイジアナ州スーパードーム開催したタッグチーム・トーナメント "Crockett Cup" に馬場タッグ組んで参戦シード出場した2回戦ジミー・ガービン&ブラック・バートに勝利したものの、準々決勝ロニー・ガービン&マグナムTA敗退した4月20日にはミネソタ州メトロドーム開催されAWAの "WrestleRock 86" に出場AWA世界ライトヘビー級王者バック・ズモフから勝利を収めた1988年1月2日には後楽園ホールにて、カート・ヘニング保持していたAWA世界ヘビー級王座挑戦している。 タイガーマスク時代三沢は、初代タイガーマスク佐山聡)が確立した華麗な空中技を受け継ぐ必要に迫られた。これでは三沢が本来目指すプロレス前面出せないことを意味し三沢そのこと苦しんだ。そのため三沢ヘビー級転向した理由について、「ファンが望む空中技をふんだんに取り入れつつも、2代目タイガーマスクとしての個性確立目指すようになったためであった」と説明している。空中技を多用したことで三沢の膝には負担がかかり、左膝前十字靱帯断裂引き起こし負傷箇所の手術を受けるため1989年3月から1990年1月にかけて長期欠場余儀なくされた。 三沢タイガーマスク時代全日本プロレス中継実況アナウンサー務めていた倉持隆夫によると、三沢にはアメリカプロレス界ではマスクマン負け役で地位が低いという意識があり、そのため取材の際には本名呼びかけないとまともな受け答えをしてもらえなかったと回顧している。倉持タイガーマスク時代三沢を「劇画ヒーローになったのだから、もっと劇画世界のように、奇想天外な自由奔放な発言をして、メディア煙に巻くぐらいの話をすればいいのに、根が真面目な三沢青年は、最後までマスクマンレスラーになれなかったのだ」と評している。タイガーマスク時代三沢自己主張強く行わなかったため、「口の重い虎戦士」と呼ばれた週刊ゴング編集長小佐野景浩2代目タイガーマスクとしての三沢について、「ヒーローは常に強くなければいけないのに、『やられてばかりで勝てないタイガーマスク』という印象が強い」とし、日本人外国人選手にしても相手格上ばかりだったためどうしても受けのファイトになってしまったこと、また当時全日本両者リングアウトなどの不透明決着で終わる試合多かったことで三沢勝率決し高くはなかったため、「その意味三沢タイガー気の毒だった」と述べている。ただし、2代目タイガーマスクとして受けに回っている場面多く経験したことで、「それは後の"不屈の三沢"を培ったと思う」と述べている。 なお、全日本では「タイガーマスク1年1つ新しい技を開発する」と宣伝していたため、三沢タイガーマスク時代開発した技の名前には「タイガー・スープレックス'84」といった具合開発年がついているちなみに三沢2代目タイガーマスクとして活動していた最中1988年5月結婚したが、その際記者会見夫人マスク脱がせる演出によって4年5か月ぶりに公の場素顔となって正体明かしその上で2代目タイガーマスクとしての活動続行するという、覆面レスラーとしては異例行動出ている。

※この「タイガーマスク(2代目)として活躍」の解説は、「三沢光晴」の解説の一部です。
「タイガーマスク(2代目)として活躍」を含む「三沢光晴」の記事については、「三沢光晴」の概要を参照ください。

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