スペースシャトルとアメリカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 01:10 UTC 版)
「アメリカ合衆国の宇宙開発」の記事における「スペースシャトルとアメリカ」の解説
1970年代半ば頃からアメリカは再使用可能な宇宙船の開発をはじめ、スペースシャトル計画を生み出した。ロケットは通常一回利用であり、非常に高価で資材は多くが海の下に沈んでしまうため、当時から非経済的であると考えられていた。スペースシャトルはこれらの廃棄される部品を少なくするために考えられた計画であり、有人の大型の宇宙船が宇宙を往還することによって、故障した衛星の修理、調整後の地球外軌道への投入、再使用による費用の減少、宇宙空間での実験室的役割など多くの期待を込めて開発が進められた。こうして開発されたスペースシャトルは実際に多くの方法で利用されるようになった。ガリレオはスペースシャトルによって打ち上げられ、軌道上で展開した後にミッションをはじめている。また、有人飛行が非常に多く行われるようになり、日本や欧州、その他の国の宇宙飛行士も多くがスペースシャトルで宇宙へ行っている。 一方でスペースシャトルにリソースをつぎ込んだため、ロケットの開発は遅れた。またスペースシャトルを主力にすることを見込んで、これまで主力となっていたデルタ、アトラス、タイタンの3種類の使い捨てロケットは生産を一時的に停止した。しかし、実際にはスペースシャトルは帰還機の修理にかかる時間が長く、望んだよりも費用の低減ができず、連続で打ち上げられないことが分かった。このようなことがわかったために、アメリカは再び使い捨てロケットの生産も復活させた。この隙を突いて欧州のアリアンがロケットの商業打ち上げのシェアを奪っていった。また、アメリカはロケットの開発を行っていた日本に対しスーパー301条の適用で衛星の打ち上げを奪うなど、他国の宇宙開発での影響力を抑える外交的手段をとった。1990年代に入ると宇宙開発費は徐々に削減されていき、予算の縮小の中で宇宙開発を行わざるを得なくなった。 一方でレーガン大統領時代にはスターウォーズ計画として弾道ミサイル防衛などの計画がはじめられ、早期警戒衛星などのために国防総省に予算が組み込まれるようになった。また、GPS衛星が打ち上げられるようになったのもこの頃からである。GPS衛星は当初は軍事目的の位置確認装置として打ち上げられていたが、非常に便利であったために民間利用も行われるようになり、現在はカーナビゲーションシステムや建設重機の位置確認など多岐にわたって活用されている。 スペースシャトルではチャレンジャー事故が起こった。当初のスペースシャトルは安全性が低かった。これを改修することによって、積むことのできる貨物の量が若干減少している。さらに、打ち上げが一般化するにつれ宇宙開発に対する国民の意識は薄れていった。このような中でアメリカは国際的に協力を行うことで予算を相手に出させることを目指すようになった。グレートオブザバトリー計画で計画され欧州との協力で打ち上げに成功したハッブル宇宙望遠鏡も大きな成功を収めた。ハッブル望遠鏡は遠天体の観測に大いに役立ち、様々な画像や映像がもたらされた。また、その高い成果からスペースシャトルによって何度も修理され、計画よりも長く稼動している。有人宇宙飛行ではスペースシャトルに外国人を乗せることに加え、この時期に提唱されたフリーダム宇宙ステーションは現在の国際宇宙ステーションにつながっている。国際宇宙ステーションは、現在はアメリカ、欧州、日本、ロシア、カナダの五つの国と団体で運用を行っている。 速い良い安いをスローガンに作られたディスカバリー計画では宇宙探査がさらに拡大して行われることになった。特にこのうち火星を探査するマーズ・パスファインダーは以前のバイキング計画と違い、エアバッグで衝撃を吸収することにしたために、バイキング計画と比べ打ち上げる機材が軽量化され、タイタンロケットではなくデルタロケットで打ち上げられた。マーズ・パスファインダーは火星表面を調査し続け地質や風等を詳しく調査した。この結果過去の火星の地表には水の存在したことが確かめられた。また、NEARシューメーカーは小惑星への軟着陸を行って探査し、スターダスト探査機は彗星の尾の塵を持ち帰ることに成功している。
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