スウィンバーンによるランダー作品評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 17:33 UTC 版)
「ウォルター・サヴェージ・ランダー」の記事における「スウィンバーンによるランダー作品評」の解説
スウィンバーンは、『ブリタニカ百科事典』の第9版と1886年に出版した『Miscellanies』で次のような論評を書いている。 (適宜段落分けを施した) 「19歳から90歳近くまで、彼の知的・文学的活動性が絶えざること疲れ知らずの様相であった。しかし、たとえばチャールズ・ラムの心のこもった称賛にはランダーも心からの返答をしたが、その時代で誰も真似のできないほど強力で純粋なローマ風スタイルの比類なき使い手であることを印象づけられなかった3つの詩には、ランダーは何もコメントを書くことができなかった。」 「語句の圧縮とか主題の取捨において見せる極端な厳格さは、必ずしも過剰というわけでなく、ときにほとんど不可欠ともいえるのだが、そこから生じかねない解りづらさや難しさは、厳しく批判される理由の一つである。ランダーの英語の散文やラテン語の詩は、英語の詩やラテン語の散文に比して、より盛んな、そしてより重大な批判が投げかけられる傾向にある。彼の速い思考や優美な言葉の方向性を正確に理解し、その筋道を追いきるには、彼ほど鋭く敏感な目を持たず、彼ほど繊細で機敏な学識を持たぬ者には、ときとしてほとんど不可能事なのである。」 「もっと言葉を尽くすべきであろうところであるにもかかわらず、簡潔極まる省略しきった表現をはっきりと意図したように追求し志向したところが随所に見られるが、それが優れたものではあっても、そのために、この2つの言語の名手が極端な光を伴いつつも暗く見えるのである。しかし、散文であれ韻文であれ、その真の晦渋さ、ゆるやかで雲中にあるような不確定さは先人から引き継いだものではなく、まったく異質で本質的にそれとはかけ離れたものである。彼が読者に用意した道には雲も霧もまったくない。ただ、読者は常に橋なり手すりなどが欲しいと感じる。読者は常に橋渡しなしに物語や議論を次から次へと飛び移らねばならないのである。彼の劇作においてさえも、思考や所作に明確なつながりや連続性があるべきであるのに欠けていることがあるが、この点があまりに微妙な複雑さの元となっていることが多い。ナポリの女王ジョヴァンナを主題にした著名な三部作においても、初見では、何が、どのように、なぜ、どの行為者によって起こされたのか、または起こされつつあるのかを読んで、ただ十分に、しかしそれ自体としては不幸にして十分に欠けているものを想像することとか、鋭く気高い性格付けの豊かさ、高度な動作や高度な情熱を掴み変化させる確かさと強さ、ユーモアとペーソスの豊富さ、恐怖と悲哀の悲劇的原動力を操作する力強い堂々たる静かさといったものを伴った作用が広く知られていないことを説明することは、実際困難なことがある。」 「詩人としては、彼はバイロンとシェりーの中間――前者よりは上だが高所よりは下と言われるかもしれない。カトゥルスとシモーニデースを除けば、欠点も非の打ち所もない、今なお生き続け、呼吸しているような彼の完璧な哀歌、エピグラム、墓碑銘の美しさに匹敵するものはほとんどなく、超えるものは全くない。リー・ハントが彼をユリの花を育む嵐の山の松にたとえたことは当を得ている。彼は古典主義であって形式主義ではない。彼が称賛するのは、古典になった天才もブレイクも容れるほどは幅が広い。彼自身の創作に関する高い志向や方法論においては、批評的作品と同様、彼は狭義または単一的意義における古典主義にとどまらなかった。彼の代表作『ペリクレスとアスパシア』の力強さに今一歩及ばないか、あるいは上回るかは別として、中世イタリアと英国のシェイクスピアに関する2つの研究の美しさ鮮明さが劣るということはほとんどないのである。」
※この「スウィンバーンによるランダー作品評」の解説は、「ウォルター・サヴェージ・ランダー」の解説の一部です。
「スウィンバーンによるランダー作品評」を含む「ウォルター・サヴェージ・ランダー」の記事については、「ウォルター・サヴェージ・ランダー」の概要を参照ください。
- スウィンバーンによるランダー作品評のページへのリンク