コンヴィクト(スクラップド・プリンセス)
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「ガリアンソード」の記事における「コンヴィクト(スクラップド・プリンセス)」の解説
1999年のライトノベル。2016年の宗我部としのりによる漫画版にも登場。2003年のテレビアニメ版には登場しない。原作では第1巻第3章にて、主人公を狙う刺客として登場。丸い鋸状の刃を鋼線で繋げ、いびつな形状の剣としても鞭としても使うことが可能な武器を二刀流で使う。剣自体は正統派を外れて「邪剣」と総称される、さまざまな形態の武器の一種という設定。鞭形態で両腕の袖口に収納されているが同時には使わず、右手側の武器を相手の剣に絡め取らせて封じるまで左手側は隠していた。剣状態で切り結びながら鞭状態に変形させることによって相手の後頭部を狙ったり、鋸状の刃を絡ませて引くことで縫合不可能な切り傷を負わせることができると説明されている。主要登場人物との戦いを繰り広げるものの最終的には錯乱して自滅し、自らの邪剣で自刃する。
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コンヴィクト
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「フランツ・シューベルト」の記事における「コンヴィクト」の解説
1808年10月、シューベルトはコンヴィクト(ドイツ語版)(寄宿制神学校)の奨学金を得た。その学校はアントニオ・サリエリの指導の下にあり、ウィーン楽友協会音楽院の前身校で、宮廷礼拝堂コーラス隊養成のための特別教室をもっていた。ここにシューベルトはおよそ17歳まで所属、ハイドンが聖シュテファン大聖堂で得た教育とほとんど同様に直接指導での得るところは少なく、むしろ学生オーケストラの練習や同僚の寄宿生との交際から得るものが多かった。シューベルトを支えた友人たちの多くはこの当時の同級生で、シュパウン(Spaun、1788年 - 1865年)、シュタットラー(Stadler)、ホルツアプフェル (Holzapfel)、その他多くの友人たちが貧しいシューベルトを助け、彼には買えない五線紙など、誠実な支持と励ましを与えた。また、このコンヴィクトでモーツァルトの序曲や交響曲、それらに類した作品や小品に初めて出会った。一方、才能は作曲の分野ですでに示しつつあった。1810年4月8日 - 5月1日の日付がある32ページにわたりびっしりと書かれた『4手ピアノのためのファンタジア』(D1)、続いて1811年にはツムシュテーク(1760年 - 1802年)が普及を図った計画にそって書かれた3つの長い歌曲、『五重奏序曲』(D8)、『弦楽四重奏曲』(D18)、『4手ピアノのためのファンタジア第2番』(D9)がある。室内楽曲が目立っているが、それは日曜日と祝日ごとに、2人の兄がヴァイオリン、父がチェロ、自分がヴィオラを受け持って、自宅でカルテット演奏会が行われていたためである。これは後年、多くの作品を書くことになったアマチュア・オーケストラの萌芽をなすものだった。コンヴィクト在籍中には多くの室内楽、歌曲、ピアノのための雑品集を残した。また野心的に力を注いだのは、1812年の母の葬儀用と言われる『キリエ』(D31)と『サルヴェ・レジーナ』(D106)(それぞれ合唱聖歌)、『木管楽器のための八重奏曲』(D72)である。1813年には父の聖名祝日のために、歌詞と音楽からなる『カンタータ』(D80)を残した。学校生活の最後には最初の交響曲(D82)が生まれた。
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