グラン戦争とは? わかりやすく解説

グラン戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 08:28 UTC 版)

エチオピアの歴史」の記事における「グラン戦争」の解説

イスラム諸国中にあるとされるプレスター・ジョン伝説は、1487年バルトロメウ・ディアス航海目的一つとなるほどポルトガル人々魅了していたが、大航海時代が下るに従って一旦は熱が冷めた態となっていた。だが、ペルシア湾インド洋イスラム商人競争相手として対峙するうになると、イスラム諸国の中でのキリスト教国の存在同盟相手として注目を集めるようになっていた。その中でエチオピアに特に関心寄せたのはポルトガルであった書簡から始まったやりとりは、やがてはポルトガル艦隊エチオピアへの寄航許可へと繋がっていく。だが、エチオピアの北にはトルコ艦隊停泊するスエズがあり、寄港地の提供は明白な敵対行為みなされたためにイスラム諸国との間で緊張高まった1525年前後になるとついにオスマン帝国動き後押しされる形でアダル軍人アフメド・イブラヒム・ガジ通称左利き意味するグラン」)を指揮官抱いたイスラム軍がエチオピア攻め込んでくる。この突如として出現したイスラムに対してエチオピア皇帝ダウィト2世生名レブナ・デンゲル)は11歳幼く領土蹂躙するガジ軍勢に対して無力だった。デンゲルはポルトガル援軍依頼し、自らは修道院逃げ込む潜伏先でデンゲルは再起はかったが、存命中に願いは果たれることなく、その修道院彼の終の棲家となった皇帝のこの境遇とその果ては研究者に強い印象残し、この時期エチオピア帝国の「暗黒時代」と呼ばれている。一方ガジ動きによって属国からの独立を目指していたアダルだったが、スルタンのアブンが暗殺されるとその混乱乗じたガジオスマン帝国軍によって征服されるガジはこの地でイスラム純化活動行い、自らの戦争聖戦ジハード)と称した1535年聖職者通じてエチオピアポルトガルに対して援軍要請する。これに対すポルトガルの対応は緩慢で、ヴァスコ・ダ・ガマ息子のクリストヴァン・ガマを含む数百人 の援軍エチオピア到着したのは1541年であり、すでに救援求めた皇帝ダウィト2世死去していた。1542年4月ポルトガル遠征軍後継エチオピア皇帝ガローデオスの軍勢イスラム軍と交戦して、この初戦勝利を収める。しかし、8月ウォフラの戦いでは兵力差、特に騎兵の差があらわとなってポルトガル軍敗北したガマ息子も、この戦いで捕らわれて斬首された。敗戦による痛手負ったポルトガル軍だったが、イスラム軍の追撃免れることはできたために再編成して陣容立て直すことには成功する1543年、再びポルトガル遠征軍皇帝ガローデオスとともにタナ湖付近イスラム軍と交戦した。この戦いにおいて、ポルトガル遠征軍イスラム先鋒オスマン帝国火縄銃部隊壊滅させると、綻びをみせたイスラム軍にガローデオスの軍が死に物狂い攻勢をしかけ、ついには指揮官ガジ戦死させた。ガジ死によってイスラム軍は崩壊しソロモン朝はようやくイスラム教徒領有から解放された。エチオピア属国から反乱に組したアダルも、1559年南部から移動してきたオロモ人襲撃受けて衰退決定的となる。その代わりエチオピアは、遊牧によって衝突起こすオロモ人と、分離独立傾向のあるティグレ人という二つ社会不安抱えることになったまた、外部イスラム教徒との諍いはこれで解決したわけではなく以後周辺スルタン侵略は度々発生するその結果、ガローデオスを始めとするその後継たちは、度々イスラム軍との戦闘によって命を落とした。これはポルトガルエチオピアを「反イスラム同盟」の先鋒とする戦略のためであり、1632年即位したファシラダスの不信を招く。また、即位の経緯にはポルトガル布教したカトリックエチオピア正教との対立による政情不安があり、首都ゴンダルに移すとともに鎖国政策実施し安定取り戻したエチオピア帝国繁栄円熟期迎えることになる。

※この「グラン戦争」の解説は、「エチオピアの歴史」の解説の一部です。
「グラン戦争」を含む「エチオピアの歴史」の記事については、「エチオピアの歴史」の概要を参照ください。

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