クレイ・リサーチとクレイ・コンピュータ: 1972 - 1996とは? わかりやすく解説

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クレイ・リサーチとクレイ・コンピュータ: 1972 - 1996

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 00:27 UTC 版)

クレイ (コンピュータ企業)」の記事における「クレイ・リサーチとクレイ・コンピュータ: 1972 - 1996」の解説

1960年代末、CDC財政難に陥り、クレイ開発中だった CDC 8600 への開発資金不足するようになった1972年プロジェクトの中止決定されると、クレイ自身会社クレイ・リサーチ設立した研究開発拠点はチッペワフォールズで、本社ミネアポリス置いている。同社最初の製品 Cray-1 スーパーコンピュータ大きな成功を収める当時世界最高速コンピュータとなった最初システムリリース後1カ月880USドル売れているその後シーモア・クレイはさらにCray-2開発したが、出来上がってみると社内の別チーム設計したCray X-MPより若干高速という程度であった。 彼は即座にCEO辞し独立した契約技術者という立場になる。1979年Cray-2のための新たな研究所Cray Labsコロラド州ボルダー設立した。この研究所1982年にいったん廃止されたが、1989年クレイ・リサーチからスピンオフし、クレイ・コンピュータ (Cray Computer CorporationCCC) となったシーモア・クレイはそこでCray-3プロジェクト携わる初めガリウムヒ素 (GaAs) 半導体コンピュータ使用する計画だった。しかし政治情勢変わりワルシャワ条約機構崩壊し冷戦終わったため)、Cray-3はほとんど売れなかった(実際に納入されたのは1台だけである)。クレイ・コンピュータ急激に傾き1995年倒産したクレイ・コンピュータ残されたものからシーモア・クレイ最後会社SRC Computer設立され、こちらは現在も残っている。 クレイ・リサーチスティーブ・チェン設計したX-MPから始まったシリーズ開発し続けたスティーブ・チェン同社去った後、Cray Y-MPCray C90Cray T90開発していった。これらのマシン基本的にCray-1複数内蔵しているようなアーキテクチャである。X-MPは2~4台、後のマシンでは最高32台である。また、クロック周波数高くし、ベクトルプロセッサの幅を拡大している。Cray-2プロジェクト頼りない結果終わったため、Cray命令セット利用した低価格擬似Cray作る企業出てきた。Scientific Computer Systems (SCS)、American Supercomputer、Supertekなどがそれである。これらはクレイ対抗するという類のものではなく、もっと安価低性能CMOS使ったX-MP互換マシン作っていたのである1980年代終盤高性能マシン市場超並列コンピュータ席巻される。シンキング・マシンズ、ケンドール・スクエア・リサーチ(英語版)、インテルのスーパーコンピューティング・システム部門nCUBE、MasPar(英語版)、Meiko Scientific英語版)などである。当初クレイ・リサーチこの手法を全く相手にしていなかった。超並列マシン効率的に使うソフトウェア作るのは困難と考えていたのである。これはILLIAC IV時代には正しかったが、その頃には必ずしも真ではなかった。ついにクレイ社もそれが進化唯一の道であると理解し5年をかけた研究プロジェクト開始し追いこうとしたその結果DEC Alpha ベースCray T3DCray T3Eシリーズで、皮肉なことにこれによってクレイ2000年アメリカ市場唯一のスーパーコンピュータメーカーとなっていた。 クレイコンピュータは(メインフレーム比べても)極めて高価であるため、ごく少数しか売れなかった。そのため、クレイマシン導入することは極めて名誉なことという風潮があった。これは国についても当てはまる。その風潮強化して利用するため、クレイ・リサーチ営業マンクレイ導入した国国旗が並ぶデザイン宣伝用のネクタイ作った1980年代終盤から1990年代初期にかけて、新しベンダーから小さなスーパーコンピュータ登場したミニスーパーコンピュータ呼ばれたこれらのマシンクレイ社のローエンドマシン市場侵食しはじめた。特に人気博したのはコンベックス・コンピュータシリーズで、他にも小規模並列マシンピラミッド・テクノロジーアライアント・コンピュータといった企業からリリースされていた。そのような企業ひとつとして Supertek(英語版) がある。SuperTekのS-1空冷CMOS実装X-MP互換プロセッサ使用していた。1990年クレイ社はSuperTekを買収しS-1Cray XMS として販売したが、このマシン故障しやすかった次いで未完成だった(Y-MP互換の)S-2は Cray Y-MP EL として1991年リリースされそれなりの販売台数記録した(後に Cray EL90 シリーズとなった)。これらのマシン小規模な企業、特に石油探査行っている会社売れた。このシリーズは後に Cray J90、そして1998年Cray SV-1 へとつながっていく。 クレイ社はもうひとつミニスーパーコンピュータ会社フローティングポイントシステムズ(英語版)の資産買収した。この会社SPARCベースマシン Model 500ファイルサーバ市場参入していた。このマシンサン・マイクロシステムズSolaris改造したOS動作しており、最大64プロセッサSMP構成である。クレイはこれを Cray S-MP スーパーサーバ名づけ販売した。後に高速SuperSPARC使った Cray CS6400、UltraSPARC使った Cray CS64000をリリースしている。設計はこの市場向けとしては最高レベルだったが、クレイこの方面では成功したとは言い難いクレイこれまでのニッチ市場とは勝手が違いすぎたためと思われる

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