キネトフォンとは? わかりやすく解説

キネトフォン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 21:41 UTC 版)

キネトスコープ」の記事における「キネトフォン」の解説

キネトフォン(英: Kinetophone)は、エジソンディクソン映像と音を同期するトーキー実現するために、キネトスコープフォノグラフ組み合わせた装置である。この試みエジソン映画実験始めた当初からの夢の一つだった。キネトフォンの実験用作られ最初作品が『The Dickson Experimental Sound Film』で、1894年後半または1895年初頭ブラック・マリア撮影された。その映像にはディクソンカメラ外の蝋管につながる録音ホーン向けてヴァイオリン弾いている姿が記録されており、撮影中に音楽同時録音されている。1895年3月エジソン社はキネトフォンを発売し4月最初デモンストレーションが行われた。キネトフォンはそれ自体技術革新を伴うものではなくキネトスコープ木箱内にフォノグラフ備え付けただけの装置だった。しかし、映像音の同期不正確で、ダンス吹奏楽団などの映像を見ながら、それに付けられた伴奏音楽を聴くという緩やかな同期とどまった。キネトフォン用作品のほとんどはサイレント映画で、その映像に合う音楽蝋管購入者提供された。 1913年1月エジソン映写式に改良したキネトフォンを発表した1895年システム同様に蝋管蓄音機使用し、それを複雑な滑車ベルトを介して映写キネトスコープ接続することで、録音した音と同期させた映像スクリーン映写した。キネトフォンは当初成功収めたが、当時の他のサウンドシステム同様に映像音の同期はまだ不完全で、適切な訓練不十分な映写技師音声との同期を保つのに苦労し理想的な条件下で上映が行われることは滅多になかった。上映作品平凡なヴォードヴィル出し物写した6分ほどの短い内容だったため、最初目新しさ劇場詰めかけた観客にも次第飽きられてしまった。エジソン社はキネトフォンの権利海外業者売りつけたが、わずか1年ほどで姿を消した日本では1896年末に神戸居留地ブルウル兄弟商会がキネトフォンを輸入したが、それがどのように使用されたかは不明である。1913年12月肥塚竜映写式のキネトフォンの権利購入し日本キネトフォン株式会社設立した同社エジソン研究所にいた岡部芳郎技術者迎え日本発声映画興行始めた披露興行12月6日7日帝国劇場行われ1914年4月には浅草公園にキネトフォンの常設興行館・日本座が開館した6月には同社撮影場が完成し長唄浄瑠璃などを題材にした日本製キネトフォン映画製作した日本でもキネトフォンは一時的な好況見せ8月1日日本座で公開した松井須磨子出演の『カチューシャの唄』は高い成功収めた。これは芸術座翻訳劇『復活』の挿入歌として松井歌い全国的に流行したカチューシャの唄」をキネトフォンに取り入れた作品である。やがてキネトフォンは技術的制約人気下火興行に向かなくなり1917年春に日本キネトフォンは倒産した

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