キネトスコープの一般公開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 22:02 UTC 版)
「キネトスコープ」の記事における「キネトスコープの一般公開」の解説
1894年4月、エジソンはキネトスコープの事業を研究所からエジソン製造会社(英語版)(以下エジソン社)に移した。それまでのキネトスコープとキネトグラフの開発費は、ブラック・マリアの建設費を含めて2万4000ドル以上にのぼった。4月14日、ニューヨークのブロードウェイ1115番地にホランド兄弟が所有する「キネトスコープ・パーラー」の1号店が開店した。店内には最初に製造したキネトスコープ25台のうち10台が設置され、それぞれ異なる作品が上映された。観客は25セントを払うことで5台のキネトスコープを覗き見ることができた。興行を取り仕切ったアルフレッド・O・テートによると、4月16日に開く予定だったが、準備を終えた14日にはエジソンの新発明を見ようと人だかりができていて、その夜の夕食代を稼ごうと一足早く開店し、深夜まで客が途絶えることがなかったという。 同年5月17日、シカゴのフリーメイソンの集会所にホランド兄弟が運営するキネトスコープ・パーラーの2号店が開かれ、10台のキネトスコープが設置された。6月1日にはサンフランシスコにもキネトスコープ・パーラーが開店した。エジソンはキネトスコープとフィルムの販売を市場化するため、ノーマン・ラフとフランク・ガモンが経営するキネトスコープ社(英語版)にアメリカとカナダでの独占販売権を与えた。キネトスコープ社や他の販売業者は、エジソン社から200ドルまたは250ドルでキネトスコープを購入し、それを自社が所有するキネトスコープ・パーラーに設置するか、他の興行者たちに350ドルで再販した。フィルムは1本あたり10ドルで販売された。1895年2月までにキネトスコープとフィルムの販売額は18万ドルを計上し、エジソン社は8万9000ドルの利益を得た。
※この「キネトスコープの一般公開」の解説は、「キネトスコープ」の解説の一部です。
「キネトスコープの一般公開」を含む「キネトスコープ」の記事については、「キネトスコープ」の概要を参照ください。
- キネトスコープの一般公開のページへのリンク