キックボクシング・K-1復帰とは? わかりやすく解説

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キックボクシング・K-1復帰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 06:07 UTC 版)

ステファン・レコ」の記事における「キックボクシング・K-1復帰」の解説

2005年5月14日ハンガリーブダペスト行われたWKNフリースタイル世界スーパーヘビー級王者決定戦キックボクシング復帰。フローリアン・オグネイド(ドイツ)を3RTKOで下しスーパーヘビー級王者となった2005年6月12日IT'S SHOWTIMEにおいてバダ・ハリ対戦し1RKO勝ち。試合前からバダ・ハリ執拗な暴言挑発受けた試合では、バダ・ハリの荒い反則攻撃投げ過剰なプッシング連発など)を何度も受けるが、バックスピンキックレバー突き刺しバダ・ハリ悶絶させ1RKO勝ちを飾った勝利直後バダ・ハリ挑発反則攻撃への不満からか、倒れているバダ・ハリ一喝した。しかしそれをバダ・ハリレコツバ吐いた勘違いして再び遺恨生まれた2005年11月19日K-1 WORLD GP 2005 IN TOKYO 決勝戦のリザーブファイトでK-1に復帰6月続きバダ・ハリ再戦2Rバックスピンキック顔面受けてKO負け試合後の会見バダ・ハリは「前回レコとの試合ではスピンキック肝臓受けて立てなくなったが、今回はそのお返しができたから凄く嬉しいよ。前回試合で奴は俺をKOしたがその時、上からツバ吐きやがった。だが今回、俺はKOして倒れてレコ気遣ったぞ。相手思いやる気持ち大事だからな。」と、自らの挑発反則行為を気にすることなくレコ批判した。(※前回試合記述通りレコツバ吐いていない。)レコ試合後、怪我をしていた膝の手術を受けた2006年4月29日K-1 WORLD GP 2006 IN LAS VEGASで膝の手術からの復帰戦を行いルスラン・カラエフ対戦序盤ダウン奪われるが、後半盛り返し3R終了間際に得意の右ストレートルスラン直撃させてダウン奪い返したダメージのあるルスラン攻め立ててKO寸前まで追い詰めるが、勝利目前試合終了ゴング鳴りKO出来ず僅差判定負け喫した2006年8月12日K-1 WORLD GP 2006 IN LAS VEGAS II行われた世界最終予選出場1回戦ではスコット・ライティを左右フックで3RKO。準決勝ではバックスピンキックカーター・ウィリアムスを1RKO。決勝ではマイケル・マクドナルドを2RKOし、3試合すべてKO勝ちで世界最終予選優勝果たし開幕戦への出場決めた2006年9月30日、K-1 WGP 2006 開幕戦のGP1回戦にてレイ・セフォー対戦し判定勝ち。 2006年12月2日、K-1 WGP 2006 決勝戦GP準々決勝にてレミー・ボンヤスキー対戦。1Rにレコローキックレミー下腹部入ってしまいレミー悶絶インターバル3分では回復できず、更に1分回復時間与えられるが、回復状況思わしくないため、次の試合先に行い、その試合後にこの試合続きが行われた。レコ警告を受け試合再開。しかし、再びレコ放ったバックスピンキックがまたも偶然レミー下腹部当たってしまったため、レミー再度倒れ込むというアクシデント起こった。ここでレコイエローカード減点1)。試合再開後はダメージ負ったレミー追い詰めて前に出たところにパンチ受けてダウン奪われ判定負け喫した試合後、レミー前述ダメージにより準決勝出場ドクターストップがかかり、代わりレコも足を負傷しておりドクターストップかかった2007年8月11日K-1 WORLD GP 2007 IN LAS VEGASマイティ・モー対戦モーに何もさせず完封し判定勝ち。 2007年9月29日K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16のGP1回戦にてレミー・ボンヤスキー3度目対戦。1勝1敗で3戦目を迎え両者は、前年GPでの金的攻撃による遺恨のためか白熱した試合展開となった。1R中盤レミーミドルキックレコ下腹部入りレコ去年報復行為思ったのか苦笑い後に怒りあらわにした。1R終盤レコ何度もボディストレート打ち込んでペース掴み始めたが、レミー右飛び膝蹴でダウン奪われた。レコ立ち上がりファイティングポーズ取ってレミー向かっていくが、危険と判断したレフェリー試合続行不可能と判断して両手振って試合止めてレコTKO負けとなったレコ自身納得がいかず、レフェリー何度も抗議した聞き入れられなかった。 2008年8月9日K-1 WORLD GP 2008 IN HAWAIIのリザーブファイトでジュニア・スアと対戦し、1RKO勝ち。 2008年12月20日、K-1 Fighting Network Prague 2008にてフレディ・ケマイヨ対戦し延長1R判定負け試合中に膝を痛めたため、試合後に再び膝の手術を行った2009年5月16日IT'S SHOWTIMEメルヴィン・マヌーフ対戦し3Rまでマヌーフを完封し優勢に試合進めていたが、3Rレコステップ踏んだ際に自ら足を痛めてしまいドクターストップ不運なTKO負けとなった試合後のドクターチェックでレコは膝を壊しており、改めて膝の手術を行うこととなった2009年10月17日GLORY 11: A Decade of Fightsにて、膝の手術後復帰戦を行うがアンダーソン・ブラドック・シルバに2RKO負け2010年9月12日IT'S SHOWTIMEでヴォルカン・ダズガンと対戦し判定勝利を収めた2010年10月16日Ultimate GloryKickboxing World Series1回戦でウェンデル・ロチェ対戦しTKO負け喫した2011年6月11日自身引退試合となるISKAフリースタイル世界スーパーヘビー級王座決定戦盟友ジェロム・レ・バンナ対戦し0-3判定負け試合後、バンナからは土下座敬意表された。しかし、数週間後に早くも引退撤回し現役復帰2011年11月23日RISE HEAVY WEIGHT TOURNAMENT 2011一回戦出場し上原誠対戦判定負け喫した2012年3月17日WKA World Championshipsにて、マリンコ・ネイマレビッチと対戦。右フックで2RKO勝ちを収めた

※この「キックボクシング・K-1復帰」の解説は、「ステファン・レコ」の解説の一部です。
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