キックボクシング・K-1復帰
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「ステファン・レコ」の記事における「キックボクシング・K-1復帰」の解説
2005年5月14日、ハンガリーのブダペストで行われたWKNフリースタイル世界スーパーヘビー級王者決定戦でキックボクシング復帰。フローリアン・オグネイド(ドイツ)を3RTKOで下しスーパーヘビー級王者となった。 2005年6月12日、IT'S SHOWTIMEにおいてバダ・ハリと対戦し1RKO勝ち。試合前からバダ・ハリの執拗な暴言や挑発を受けた。試合では、バダ・ハリの荒い反則攻撃(投げや過剰なプッシング連発など)を何度も受けるが、バックスピンキックをレバーに突き刺しバダ・ハリを悶絶させ1RKO勝ちを飾った。勝利直後、バダ・ハリの挑発・反則攻撃への不満からか、倒れているバダ・ハリを一喝した。しかしそれをバダ・ハリはレコがツバを吐いたと勘違いして再び遺恨が生まれた。 2005年11月19日、K-1 WORLD GP 2005 IN TOKYO 決勝戦のリザーブファイトでK-1に復帰。6月に続き、バダ・ハリと再戦。2Rにバックスピンキックを顔面に受けてKO負け。試合後の会見でバダ・ハリは「前回のレコとの試合ではスピンキックを肝臓に受けて立てなくなったが、今回はそのお返しができたから凄く嬉しいよ。前回の試合で奴は俺をKOしたがその時、上からツバを吐きやがった。だが今回、俺はKOして倒れてるレコを気遣ったぞ。相手を思いやる気持ちは大事だからな。」と、自らの挑発・反則行為を気にすることなくレコを批判した。(※前回の試合の記述の通り、レコはツバを吐いていない。)レコは試合後、怪我をしていた膝の手術を受けた。 2006年4月29日、K-1 WORLD GP 2006 IN LAS VEGASで膝の手術からの復帰戦を行い、ルスラン・カラエフと対戦。序盤ダウンを奪われるが、後半は盛り返し、3R終了間際に得意の右ストレートをルスランに直撃させてダウンを奪い返した。ダメージのあるルスランを攻め立ててKO寸前まで追い詰めるが、勝利目前で試合終了のゴングが鳴りKO出来ず、僅差の判定負けを喫した。 2006年8月12日、K-1 WORLD GP 2006 IN LAS VEGAS IIで行われた世界最終予選に出場。1回戦ではスコット・ライティを左右のフックで3RKO。準決勝ではバックスピンキックでカーター・ウィリアムスを1RKO。決勝ではマイケル・マクドナルドを2RKOし、3試合すべてKO勝ちで世界最終予選優勝を果たし、開幕戦への出場を決めた。 2006年9月30日、K-1 WGP 2006 開幕戦のGP1回戦にてレイ・セフォーと対戦し、判定勝ち。 2006年12月2日、K-1 WGP 2006 決勝戦のGP準々決勝にてレミー・ボンヤスキーと対戦。1Rにレコのローキックがレミーの下腹部に入ってしまいレミーが悶絶。インターバル3分では回復できず、更に1分回復時間が与えられるが、回復状況が思わしくないため、次の試合を先に行い、その試合後にこの試合の続きが行われた。レコが警告を受け試合が再開。しかし、再びレコの放ったバックスピンキックがまたも偶然レミーの下腹部に当たってしまったため、レミーが再度倒れ込むというアクシデントが起こった。ここでレコにイエローカード(減点1)。試合再開後はダメージを負ったレミーを追い詰めて前に出たところにパンチを受けてダウンを奪われ判定負けを喫した。試合後、レミーは前述のダメージにより準決勝出場にドクターストップがかかり、代わりのレコも足を負傷しておりドクターストップがかかった。 2007年8月11日、K-1 WORLD GP 2007 IN LAS VEGASでマイティ・モーと対戦。モーに何もさせず完封し、判定勝ち。 2007年9月29日、K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16のGP1回戦にてレミー・ボンヤスキーと3度目の対戦。1勝1敗で3戦目を迎える両者は、前年のGPでの金的攻撃による遺恨のためか白熱した試合展開となった。1R中盤にレミーのミドルキックがレコの下腹部に入り、レコは去年の報復行為と思ったのか苦笑い後に怒りをあらわにした。1R終盤はレコが何度もボディにストレートを打ち込んでペースを掴み始めたが、レミーの右飛び膝蹴でダウンを奪われた。レコは立ち上がり、ファイティングポーズを取ってレミーに向かっていくが、危険と判断したレフェリーが試合続行不可能と判断して両手を振って試合を止めてレコのTKO負けとなった。レコ自身は納得がいかず、レフェリーに何度も抗議したが聞き入れられなかった。 2008年8月9日、K-1 WORLD GP 2008 IN HAWAIIのリザーブファイトでジュニア・スアと対戦し、1RKO勝ち。 2008年12月20日、K-1 Fighting Network Prague 2008にてフレディ・ケマイヨと対戦し、延長1R判定負け。試合中に膝を痛めたため、試合後に再び膝の手術を行った。 2009年5月16日、IT'S SHOWTIMEでメルヴィン・マヌーフと対戦し、3Rまでマヌーフを完封して優勢に試合を進めていたが、3Rにレコがステップを踏んだ際に自ら足を痛めてしまいドクターストップ。不運なTKO負けとなった。試合後のドクターチェックでレコは膝を壊しており、改めて膝の手術を行うこととなった。 2009年10月17日、GLORY 11: A Decade of Fightsにて、膝の手術後の復帰戦を行うがアンダーソン・ブラドック・シルバに2RKO負け。 2010年9月12日、IT'S SHOWTIMEでヴォルカン・ダズガンと対戦し、判定勝利を収めた。 2010年10月16日、Ultimate GloryのKickboxing World Series1回戦でウェンデル・ロチェと対戦し、TKO負けを喫した。 2011年6月11日、自身の引退試合となるISKAフリースタイル世界スーパーヘビー級王座決定戦で盟友ジェロム・レ・バンナと対戦し、0-3の判定負け。試合後、バンナからは土下座で敬意を表された。しかし、数週間後に早くも引退を撤回して現役復帰。 2011年11月23日、RISE HEAVY WEIGHT TOURNAMENT 2011の一回戦に出場し、上原誠と対戦。判定負けを喫した。 2012年3月17日、WKA World Championshipsにて、マリンコ・ネイマレビッチと対戦。右フックで2RKO勝ちを収めた。
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