キックボクシングへ転向
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1968年(昭和43年)に協同ジムからキックボクサーとしてデビュー。同年、大沢は3度目のタイ遠征を行い、クァンムンと対戦。大沢はクァンムンの膝蹴りを200発以上喰いながら、最終ラウンドまでダウンせず、肋骨を折られながらも前へ前へと攻め続けた。タイで初黒星を喫するが、大沢の戦いぶりをタイのファンはビッグハートと称えた。1970年に空手時代の恩師である黒崎健時の目白ジムに移籍し、極真会館を離れた。1971年に全日本キックボクシング協会の初代バンタム級チャンピオンとなる。同年タイに2度遠征し、ラジャダムナンチャンピオンで当時1位にランクされていたチャンデットと現役チャンピオンのキャットワームーパックとそれぞれ対戦。惜しくも判定負けであった。特に対チャンデット戦での大沢の闘いぶりをキック史上最も感動的な試合と評する専門家もいる。1973年に全日本バンタム級王座を保持したまま、引退した。
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