ガス事業の本格化
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日清紡績設立と同じころ、桃介は福岡県門司市(現・北九州市)において進行中であった都市ガス起業計画に参加し門司瓦斯発起人の一員となった。参加の動機は起業の中心人物であった大橋淡に誘われたためという。門司瓦斯起業の手続きは1907年の反動恐慌で一時中断ののち1909年12月会社設立まで至ったが、桃介は同社の役員にはなっていない。この門司瓦斯の発起人加入を機に、桃介は東京の既存ガス会社東京瓦斯(ガス)に対する競合会社の設立を思いつき、1か月で計画をまとめ「千代田瓦斯」の名で1907年2月事業許可を得た。千代田瓦斯も恐慌で会社設立が一旦見合わせられたのち、1910年5月名古屋瓦斯社長奥田正香らの出資を得て発足するが、この千代田瓦斯でも桃介は役員に就いていない。 桃介によると、この千代田瓦斯で技師長を務めた岡本桜(名古屋瓦斯技師長兼)による地方都市へのガス事業普及活動に触発されたことが自身もガス事業を本格化する契機となったという。1910年4月28日、桃介は「日本瓦斯株式会社」を設立し自ら社長に就いた。この新会社は、各地の地方都市で計画されつつあるガス事業に対し資金・資材を提供し経営・技術両面の指導をなすことを目的とする持株会社である。義弟の福澤大四郎を専務取締役、松永安左エ門・渡邊修・田中新七の3名を取締役に置く陣容で、資本金は200万円、本社は東京に構えた。なお桃介が地元有志らと許可を得た香川県高松市におけるガス事業の権利が日本瓦斯に移され、日本瓦斯高松出張所として1911年7月に開業しており、日本瓦斯自身もガス事業者となっている。 設立翌年の1911年末時点で、日本瓦斯は北海道から九州に至る各地のガス会社9社の株式を保有していた。この9社のうち北海道瓦斯と博多瓦斯を除いた、下記の7社で桃介は取締役を務めている。 下関瓦斯(初代) - 1910年5月、山口県下関市に設立。桃介が初代社長。 熊本瓦斯 - 1910年5月、熊本県熊本市に設立。初代社長は地元熊本の千田一十郎。 新潟瓦斯(初代) - 1910年7月、新潟県新潟市に設立。桃介が初代社長。 鹿児島瓦斯 - 1910年7月、鹿児島県鹿児島市に設立。桃介が初代社長。 姫路瓦斯 - 1910年9月、兵庫県飾磨郡市殿村(現・姫路市)に設立。初代社長は神戸松之輔。ただし桃介を含む日本瓦斯系役員は1914年辞任。 大牟田瓦斯 - 1910年11月、福岡県三池郡大牟田町(現・大牟田市)に設立。桃介が初代社長。 和歌山瓦斯 - 1911年4月、和歌山県海草郡中ノ島村(現・和歌山市)に設立。桃介が社長を務める。 1912年になっても桃介のガス会社役員就任は続いており、まず6月、広島県呉市にある呉瓦斯の取締役に加わった。同社も日本瓦斯を大株主とするガス会社の一つであるが、翌1913年(大正2年)12月に広島瓦斯(現・広島ガス)に吸収されている。次いで10月、愛媛県越智郡今治町(現・今治市)における今治瓦斯(現・四国ガス)の設立に際し取締役に就任した。この今治瓦斯では、県にガス事業を申請する段階では桃介が代表であったが、設立時には地元財界に主導権が移っており、初代社長には八木亀三郎が就いている。
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