ガス事業関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 09:21 UTC 版)
日銀を去った後の1899年(明治32年)、大阪瓦斯の社長に推挙され、同社社長となる。大阪瓦斯の設立は1896年(明治29年)だが、その後に襲った経済不況によって経ち行かなくなり名義だけの存在となっていた。それを浅野総一郎が株式の過半数を取得・買収した後、関西経済に通じている直輝を同社社長として迎えた、という経緯がある。また、この当時は外資を積極的に受け入れて経済を活性化させようという動きがあり、米国人投資家や技術者と話の折り合いをつける調整役として、海軍時代の経験で外国語に堪能だった直輝は適任であったといえる。第一次世界大戦時の物価高騰に伴うガス料金引き上げが大阪市の反対に遭い遂行できず、その後業績が悪化したことを理由に1917年(大正6年)7月、同社社長を解任される。 日露戦争時の策源地(兵站のための後方基地)であった広島市において支店を開設した際、広島の人々と交友を深めた関係で、大林芳五郎の要請により広島瓦斯の設立に協力、設立後の同社社長を務め、同社の基礎を築き上げた。それと同時に広島電気軌道の取締役にもなったが、1913年(大正2年)2月に両社を退任する。 1907年(明治40年)頃、全国主要都市においてガス会社が相次いで設立される。大阪市では前述の大阪瓦斯があったが、隣接する堺市にはガス会社がなく、大阪瓦斯が堺市のガス事業を行なうことが検討された。しかし、それを行なうには株主総会を経て定款を変更することや、大阪市の同意を必要とすることなど、早期の立ち上げが困難だったことから堺瓦斯を新たに設立し、大阪瓦斯社長を解任されるまで堺瓦斯社長も兼任した。 ガス製造を行なう際、副産物としてコールタールが得られるが、それを有効利用するために蒸留してクレオソート油を製造し、木材防腐用として販売することが検討され、東洋木材防腐が設立される。実業界を去るまで同社取締役を務めた。
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