ガス事業など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/20 03:34 UTC 版)
1909年(明治42年)10月10日には豊橋瓦斯(現在の中部ガス)が設立され、三郎は社長の奥田正香を支える常務取締役に就任した。1910年(明治43年)5月23日には浜松瓦斯(現在の中部ガス)が設立され、三郎はやはり社長の奥田を支える常務取締役に就任した。1922年(大正11年)12月には浜松瓦斯の社長に就任し、1943年(昭和18年)9月まで長きにわたって社長を務めた。1935年(昭和10年)4月23日から1937年(昭和12年)1月7日までは岡崎瓦斯(現在の東邦ガス)の社長も務めている。 1925年(大正14年)には豊橋商工会議所の副会頭に就任し、会頭の福谷元次らとともに三信鉄道株式会社の設立に尽力した。1930年(昭和5年)3月には豊橋商工会議所の会頭に就任し、1936年(昭和11年)8月24日まで会頭を務めた。 1943年(昭和18年)9月1日には豊橋瓦斯と浜松瓦斯が合併して中部瓦斯が設立され、三郎は初代社長に就任した。1944年(昭和19年)2月には豊橋市東八町に転居した。同年3月2日には中部瓦斯の社長を退任して会長に就任し、息子の神野太郎が社長に就任した。太平洋戦争後に農地改革が行われると、1946年(昭和21年)2月には神野新田の開放を発表し、同年5月には調印を実行した。
※この「ガス事業など」の解説は、「神野三郎」の解説の一部です。
「ガス事業など」を含む「神野三郎」の記事については、「神野三郎」の概要を参照ください。
- ガス事業などのページへのリンク