八町 (豊橋町)
(東八町 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/07 09:22 UTC 版)
歴史
沿革
- 江戸時代 - 三河吉田城下に八町小路(八丁小路)の名で所在[1]。吉田城柳生門から悟真寺までの八町通の沿線にあった武家屋敷地[1]。広小路とも称した[1]。
- 明治初年 - 渥美郡豊橋八町となる[1]。1878年(明治11年)までは1丁目から3丁目が存在した[1]。
- 1886年(明治19年) - 豊橋宮下町・豊橋袋町・豊橋東町・豊橋八幡町・豊橋川毛町・豊橋土手町を併合[1]。
- 1889年(明治22年) - 渥美郡豊橋町八町となる[1]。
- 1895年(明治28年) - 豊橋町西八町・中八町・東八町に分割される[1]。
- 1906年(明治39年) - 豊橋市西八町[2]・中八町[3]・東八町[4]となる。
- 1958年(昭和33年) - 豊橋市西八町は同市八町通に編入され、消滅[2]。中八町の一部が八町通に編入[3]。東八町の一部は八町通のほか、鍛冶町・曲尺手町に編入される[4]。
- 1963年(昭和38年) - 中八町は八町通に編入され、消滅[3]。また、東八町の残部は今橋町・関屋町にそれぞれ編入され、消滅[4]。
脚注
- ^ a b c d e f g h 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1081.
- ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1015.
- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 953.
- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1119.
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『愛知県』 23巻、角川書店〈角川日本地名大辞典〉、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 東八町のページへのリンク