カウナス領事館時代
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ソリー・ガノール カウナスの少年時代に千畝と交流があった。子供好きであった千畝から日本の切手をもらったなどのエピソードを語るも、杉原幸子はカウナスのユダヤ人との交流は無かったと述べた。少年時代、迫害を受けていたユダヤ人に対し自分の小遣いから食糧を買い与えたりしており、杉原がビザ発給を決断した背景には、ガノールの存在が大きく関係している。ダッハウ強制収容所に収監されていたところを、日系二世部隊に救出される奇遇にあうことは、『日本人に救われたユダヤ人の手記』(1995) に詳しい。2019年1月時点で存命中、91歳。 ゾラフ・バルハフティク カウナスで杉原からのビザ受領交渉にあたったユダヤ難民のリーダー。1948年5月14日のイスラエル独立宣言の署名者の一人。ワルシャワ大学出身で法学博士、神学博士。後にイスラエルの宗教大臣になり、千畝の「諸国民の中の正義の人」賞受賞のために尽力。『日本に来たユダヤ難民』(1984)と題する有名な回想録がある。 レオ・メラメド(英語版) シカゴ・マーカンタイル取引所の名誉会長。「先物取引」の父。「杉原ビザ」受領者の一人。自伝に日本滞在記がある。東日本大震災後に犯罪が急増しなかった日本に関し米国で称賛の声が上がっていることに対して、「米国人にはかなりの驚きだっただろう。でも私には驚きはみじんもない。日本人は世界で最も礼儀正しい人々だから」という見解を示した。 シルビア・スモーラ 「杉原ビザ」受領者。アルバート・アインシュタイン医科大学教授(医学博士)。『レイチェルとアレックス』(Rachel and Aleks, 2007) と題する、両親のポーランドからの逃避行を描いた歴史小説があり、この小説の第1部が、安藤富雄により、「自由への旅路」という邦題で訳出されている。 ジョン・ストウシンガー(英語版) プラハにおける「杉原ビザ」受領者。国際政治学者。サンディエゴ大学名誉教授(ハーバード大学 Ph.D.)。バンクロフト賞受賞者。2001年11月8日、福山市のホロコースト記念館館長の大塚信による招聘で記念講演を行った。杉原との運命的な邂逅を著書『なぜ国々は戦争をするのか』上下(国書刊行会、2015)の「エピローグ」で描いている。 サミュイル・マンスキー。 「杉原ビザ」受領者。チェスナッヒルのテンプル・エメスに杉原のメモリアル・ガーデンを作り、顕彰碑の碑名には、「獅子のような心を持つ力ある者」(「サムエル記」II、17章10節)が選ばれた。 モシェ・ズプニック ポーランドにあったミラー神学校の元生徒代表。杉原とビザの受給交渉をし、他の神学生全員とともに救われた。ニューヨークでラビ(ユダヤ教の聖職者)を務め、2010年没。 ミハウ・リビコフスキ(ポーランド語版) ポーランド軍少佐。陸軍大学を卒業後、参謀本部第二部ドイツ研究課に配属。小野打寛(ラトビア駐在武官)、小野寺信(スウェーデン駐在武官)及び杉原らと協力し、日本側に独ソ間の情報を提供。その見返りに、日本や満洲国のクーリエを用いて、ロンドンのポーランド亡命政府にドイツやソ連の情報を送る。 アルフォンス・ヤクビャニェツ 別名「クバ」。ポーランドの諜報将校。カウナスとベルリンで、千畝の情報収集に協力。1941年ドイツに逮捕され、ザクセンハウゼン強制収容所で処刑。 レシェク・ダシュキェヴィチ 別名「ペシュ」。ポーランド亡命政府の陸軍中尉。カウナス、ベルリン、ケーニヒスベルクで杉原の情報収集に協力。 ヤン・ズヴァルテンディク スリナム、キュラソーなど中南米のオランダ領の渡航には入国ビザを必要としないと難民のパスポートにスタンプを押し、ユダヤ難民救済に一役買った在カウナス・オランダ名誉領事。杉原千畝とは面識も協力関係も無かった。
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