オーチャード・ハウス
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「ルイーザ・メイ・オルコット」の記事における「オーチャード・ハウス」の解説
1856年に妹のエリザベスとメイが猩紅熱に罹患した。代替医療の信奉者でビーガンだった一家は、当初、病気の娘を医者に見せなかった。ウォルポールの人々からオルコット家への支援がなくなり、エリザベスの病状が思わしくなかったことから、ブロンソンはエマーソンがいるコンコードに戻ることを決め、1857年に引っ越した。 エリザベスの健康は回復せず、1957年の一時期、オルコットは仕事を見つけることができず、絶望に満ちて自殺を考えるまでに追い詰められた。その当時に、彼女はエリザベス・ギャスケルのシャーロット・ブロンテの伝記を読み、彼女自身の人生と多くの類似点を見つけた。オルコットは、後に自らスリラー小説と呼ぶような小説を次々に書いていったが、これはエリザベスと自身の治療費のために多くのお金が必要だったことが理由にあるといわれる。 エリザベスは回復せず、彼女をモデルにした『若草物語』のベスの一見痛みのない、静かで尊厳のある死とは異なり、その闘病は苦しく辛いものだった。エリザベスは優雅で物静かな女性だったが、病気になると、それまで口にしたことのない怒りを家族と自分の運命にぶつけた。オルコットや彼女を世話していた人々は、彼女の狂気を抑えようと、モルヒネやエーテル、アヘンを投与したが、その効果はなくなっていった。(19世紀当時に中毒という概念はなく、アヘンやモルヒネは20世紀まで、幸福な気分になる特典付きの、痛み止めや睡眠薬、頭痛薬として使用されていた。)痛みに苦しむエリザベスは、姉妹を攻撃し、自分の死は「家族にとって新しい何かをもたらすから、私が四人姉妹からいなくなるのが一番いいの」(It will be something new for our family and I can best be spared of the four.)と、安らかにしてくれるように頼み、1858年2月までに薬の服用を拒否するようになった。エリザベスの最終的な診断は、「神経系の萎縮と消耗、ヒステリーの重度の進行」だった。 1857年の11月に、オルコットとアンナはコンコードの演劇グループに参加し、アンナはここで、ボストン郊外にあった超絶主義者の共同体ブルック農場(超絶クラブのメンバーだったジョージ・リプリーが創設)に参加していた、ジョン・プラットという男と出会った。(『若草物語』のメグの夫の名はこの農場からとられている。) ブロンソンは、一家が以前住んでいたヒルサイド・ハウスのすぐ近くにある2階建ての下見板張りの農家だったボロ家オーチャード・ハウスを選び、エマーソンや友人たちの援助もあり購入し、一家は1858年の春に引っ越した。一家はここに20年定住した。この頃には、一家の大黒柱はオルコットになっていた。 エリザベスは5月に、消耗性疾患で23歳で死去した。ブロンソンは遠方に講演に出かけており、いなかった。亡くなったエリザベスの小さな体は衰弱し、髪は抜け、オルコットには40歳にも見えた。ルイザとアッバは、エリザベスの死の際に、彼女の体から白い霧のようなものが立ち上るのを見た。主治医はそれを「生命現象だ」と言い、目に見える形で命が去っていくことだと説明した。アッバは娘の死に苦しみ、それを受け入れるのに苦労した。オルコットは、エリザベスの死は周囲の人間にとって教師だったのだと考え、彼女はもう苦しんでいないのだと思うことで、何とか心を落ち着かせた。オルコットはエリザベスの死後、霊の存在を意識するようになったという。 エリザベスの死後、アンナはジョン・プラットと婚約し、1960年に結婚した。最愛の姉の結婚でオルコットは孤独感を味わい、姉妹関係が断絶したように感じた。オルコットは娘2人を死と結婚で失った母アッバを慰めるために、ボストンから実家に戻った。 ブロンソンはオーチャード・ハウスを、斬新で構造にも優れ、文学的趣味を反映した見事な家に改築して評判になり、一目置かれるようになった。誰でも暖かく受け入れる家として有名になり、姉妹は毎週月曜に家を開放して劇を上演し、アッバは客にお菓子をふるまい、ブロンソンは人を捉まえては哲学の話をしていた。ブロンソンは徐々に教育者としも認められ、1960年には、60歳でコンコードの学校教育長になり、給料はわずかであったが、その教育理念を実現できるようになった。芸術教育、野外活動、体育、自然観察、学校新聞、写真の勉強、音楽、ダンスなどが行われ、コンコードの学校全てを訪問して人気者になった。
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