オーストリア継承戦争
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オーストリア継承戦争(オーストリアけいしょうせんそう、独: Österreichischer Erbfolgekrieg, 仏: Guerre de Succession d'Autriche, 英: War of the Austrian Succession, 1740年 - 1748年)は、神聖ローマ皇帝位およびオーストリア大公国(ハプスブルク帝国)の継承問題を発端にヨーロッパの主要国を巻き込んだ戦争。カナダやインドで英仏間の戦争にも発展した。
注釈
出典
- 1 オーストリア継承戦争とは
- 2 オーストリア継承戦争の概要
- 3 背景
- 4 経過
- 5 結末
- 6 外部リンク
オーストリア・バイエルン戦争
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「オーストリア継承戦争」の記事における「オーストリア・バイエルン戦争」の解説
神聖ローマ皇帝位を狙うバイエルン選帝侯カール・アルブレヒトは、1741年にチロル地方など上オーストリアとベーメンを占領、1742年には皇帝カール7世として戴冠した。これにはバイエルンと秘密条約を結んだフランスが背後で動いており、フランスも一部派兵した。窮地に立ったマリア・テレジアは、当時ハンガリーの首府であったプレスブルク(現スロヴァキア首都ブラチスラヴァ)に赴き、ハンガリー議会で自らハンガリー貴族たちに支援を呼びかけた。ハンガリーは出兵を承認し、反撃に出たオーストリアは上オーストリアとベーメンからバイエルン・フランス連合軍を撃退した上、バイエルンまで占領した。領地を奪われたカール7世は1745年、失意のうちに死去し、代わってフランツ・シュテファンが即位した。
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