バッシニャーナの戦い_(1745年)とは? わかりやすく解説

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バッシニャーナの戦い (1745年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/07 18:04 UTC 版)

バッシニャーナの戦い
戦争オーストリア継承戦争
年月日1745年9月27日
場所サルデーニャ王国バッシニャーナ
結果:フランスとスペインの勝利
交戦勢力
フランス王国
スペイン王国
ジェノヴァ共和国
サルデーニャ王国
ハプスブルク帝国
指導者・指揮官
マイユボワ侯爵英語版
フェリペ王子
ガージェ伯爵英語版
ジョヴァンニ・フランチェスコ・ブリニョーレ・サレイタリア語版
カルロ・エマヌエーレ3世[1]
戦力
70,000 55,000
損害
1,000[2]
うち戦死200、負傷300
2,500[2]
うち戦死300、負傷と捕虜1,200

バッシニャーナの戦い(バッシニャーナのたたかい、イタリア語: Battaglia di Bassignana)は、オーストリア継承戦争中の1745年9月27日に行われた戦闘。フランススペインの連合軍がサルデーニャ王国オーストリア軍に勝利した。

経過

フランスとスペインの軍勢は2年間の戦役を経てようやく合流した。両軍の巧妙な行軍でオーストリア軍2万5千人はピアチェンツァへの撤退を余儀なくされ、サルデーニャ軍は孤立した[3]。その結果、サルデーニャ軍は倒された。

スペイン軍とジェノヴァ共和国から派遣された強力な援軍はトルトーナパルマピアチェンツァなど一連の城塞を落とし、ミラノをも脅かした。オーストリア軍がミラノの守備に動いたことで、サルデーニャ王カルロ・エマヌエーレ3世率いる軍勢5万5千は孤立無援となり、ガージェ伯爵英語版に敗れた。

その後

フランス軍はサルデーニャを完全に屈服させようとしたが、ガージェ伯爵はその意見に反してロンバルディアへ進軍、12月16日カザーレとミラノの町を占領した。ミラノの城塞のみが攻撃に耐えた[4]。直後にはローディコモも降伏、1745年末にはロンバルディア全体がマントヴァとミラノの城塞を除いてスペインとフランスの手に落ちた[5]

今やオーストリア軍にはスペインの進軍を止めるだけの力がなく、カルロ・エマヌエーレ3世に戦争を継続させることもできなくなり、イタリア戦役はマリア・テレジアにとって壊滅的な結果となった。イタリアにおけるオーストリア軍を補強するにはプロイセン王国と講和して第二次シュレージエン戦争を終わらせる必要がある。カルロ・エマヌエーレ3世はフランスのルネ=ルイ・ド・ヴォワイエ・ド・ポルミー・ド・ダルジャンゾン英語版と条約締結に向けて交渉を再開した[6]

そして、ドレスデン条約で第二次シュレージエン戦争が終結すると、オーストリアはマクシミリアン・ウリセス・ブロウネ伯爵率いる軍勢3万をイタリアに派遣、フランスとサルデーニャの交渉は決裂した。翌年のピアチェンツァの戦いではフランスとスペインが敗れ、バッシニャーナの勝利をふいにした。

脚注

  1. ^ Tivaroni (1888), p. 175
  2. ^ a b Browning, p. 234
  3. ^ Guicciardini (1832), p. 112
  4. ^ Hassall, Arthur. Periods of European History The Balance of Power 1715-1789, Macmillan Co., 1914, p.184
  5. ^ Browning, p. 239.
  6. ^ Hassall, p.185-186.

参考文献




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