ウィーン・フィルハーモニーの誕生とは? わかりやすく解説

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ウィーン・フィルハーモニーの誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 23:03 UTC 版)

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」の記事における「ウィーン・フィルハーモニーの誕生」の解説

帝国王立宮廷歌劇場(後のウィーン国立歌劇場)のオーケストラとして、1842年3月28日にレドゥーテンザールにて行われた「大コンサート」もってウィーン・フィル誕生とする。帝国王立宮廷歌劇場楽長作曲家でもあったオットー・ニコライ指揮した1847年ニコライウィーン去ってしばらく活動停滞したが、1860年カール・エッケルト宮廷歌劇場監督就任し1860年1月15日ケルントナートーア劇場にて定期演奏会指揮し以来現在まで演奏会継続している。1870年には楽友協会ホール完成し、1870/1871年のシーズンから本拠地となった1875年から1882年にかけて、ウィーン・フィルホルン奏者出身である高名な指揮者ハンス・リヒター定期演奏会指揮者首席指揮者)として迎えリヒター中心とした家長的な温かい雰囲気の中でオーケストラ大きな発展遂げた(『ウィーン・フィルハーモニー黄金時代』と呼ばれる)。 リヒターブラームス交響曲第2番第3番ブルックナー交響曲第8番ウィーン・フィルハーモニー初演している。リヒター後任としてグスタフ・マーラー首席指揮者に就く(1898年 - 1901年)と、その妥協許さない狂熱的かつ革新的な姿勢楽員としばしば衝突しマーラー反対したリヒター時代からの古参楽員引退追い込まれ、若い優秀な楽員への大幅な入れ替えがあった。定期演奏会でのマーラープログラムモーツァルトベートーヴェンが主で、ベルリオーズの『幻想交響曲』やドヴォルザーク交響詩(『英雄の歌初演)等も採りあげていたが、自作は採りあげなかった。1900年のパリ万国博覧会でも、マーラー指揮のもと演奏行った。これがウィーン・フィル初の国外公演でもあった。 オーケストラとの関係悪化によりマーラー退任した後、コンサートマスター作曲家でもあったヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世首席指揮者就任する1901年 - 1903年)が、長くは続かなかった。その後数年客演指揮者制となり、世界的に声望のある指揮者陣、フェリックス・モットルエルンスト・フォン・シューフアルトゥール・ニキシュカール・ムックリヒャルト・シュトラウス若き日ブルーノ・ワルターなどが定期演奏会指揮台立った1908年フェリックス・ワインガルトナー宮廷歌劇場総監督に就任する同時にウィーン・フィル首席指揮者として迎えられ以後19年間(1908年 - 1927年)にわたって輝かし芸術的成果上げる。 同年ウィーン・フィルは公式に認可される協会組織となり、名称も新たに"Wiener Philharmoniker"となった1918年ハプスブルク帝国崩壊するパトロン失い宮廷楽団から脱皮し労働者のためのコンサート舞踏会主催SPレコード録音などの収益拡大した1922年夏にはワインガルトナー指揮初め南アメリカへ演奏旅行行い大成功収めた。またザルツブルク音楽祭ウィーン・フィル同じく1842年創設)においてオペラコンサート両面活躍し音楽祭中心的な存在となる。このザルツブルクでの活動国立歌劇場総監督のフランツ・シャルクブルーノ・ワルター貢献拠るところが大きい。 ワインガルトナー後任首席指揮者としては、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団指揮者兼任していたヴィルヘルム・フルトヴェングラー就任する1927年 - 1930年)が、ベルリンでの活動専念するため数年退任国立歌劇場総監督に就任したクレメンス・クラウス首席指揮者迎えた1930年 - 1933年)が、クラウス失脚してウィーン去った後はかつて1903年1908年行ったように、楽員投票によって定期演奏会指揮者招聘する客演指揮者となった当時折から世界恐慌演奏会切符売り上げ極度に落ち込み楽員内輪切符売りさばかなければならないほどだったが、客演指揮者制に移行してアルトゥーロ・トスカニーニブルーノ・ワルターハンス・クナッパーツブッシュオットー・クレンペラーカール・シューリヒトヴィクトル・デ・サバタなど多彩な大指揮者たちが定期演奏会登場することによって、そうした事態解消された。

※この「ウィーン・フィルハーモニーの誕生」の解説は、「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」の解説の一部です。
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