ウィーン・フィルハーモニーの誕生
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「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」の記事における「ウィーン・フィルハーモニーの誕生」の解説
帝国王立宮廷歌劇場(後のウィーン国立歌劇場)のオーケストラとして、1842年3月28日にレドゥーテンザールにて行われた「大コンサート」もってウィーン・フィルの誕生とする。帝国王立宮廷歌劇場の楽長で作曲家でもあったオットー・ニコライが指揮した。 1847年にニコライがウィーンを去ってしばらく活動は停滞したが、1860年にカール・エッケルトが宮廷歌劇場の監督に就任し、1860年1月15日にケルントナートーア劇場にて定期演奏会を指揮し、以来現在まで演奏会が継続している。1870年には楽友協会大ホールが完成し、1870/1871年のシーズンから本拠地となった。1875年から1882年にかけて、ウィーン・フィルのホルン奏者の出身である高名な指揮者ハンス・リヒターを定期演奏会の指揮者(首席指揮者)として迎え、リヒターを中心とした家長的な温かい雰囲気の中でオーケストラは大きな発展を遂げた(『ウィーン・フィルハーモニーの黄金時代』と呼ばれる)。 リヒターはブラームスの交響曲第2番、第3番、ブルックナーの交響曲第8番をウィーン・フィルハーモニーで初演している。リヒターの後任としてグスタフ・マーラーが首席指揮者に就く(1898年 - 1901年)と、その妥協を許さない狂熱的かつ革新的な姿勢で楽員としばしば衝突し、マーラーに反対したリヒター時代からの古参楽員は引退に追い込まれ、若い優秀な楽員への大幅な入れ替えがあった。定期演奏会でのマーラーのプログラムはモーツァルトやベートーヴェンが主で、ベルリオーズの『幻想交響曲』やドヴォルザークの交響詩(『英雄の歌』初演)等も採りあげていたが、自作は採りあげなかった。1900年のパリ万国博覧会でも、マーラーの指揮のもと演奏を行った。これがウィーン・フィル初の国外公演でもあった。 オーケストラとの関係悪化によりマーラーが退任した後、コンサートマスターで作曲家でもあったヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世が首席指揮者に就任する(1901年 - 1903年)が、長くは続かなかった。その後数年間客演指揮者制となり、世界的に声望のある指揮者陣、フェリックス・モットル、エルンスト・フォン・シューフ、アルトゥール・ニキシュ、カール・ムック、リヒャルト・シュトラウス、若き日のブルーノ・ワルターなどが定期演奏会の指揮台に立った。1908年にフェリックス・ワインガルトナーが宮廷歌劇場の総監督に就任すると同時にウィーン・フィルの首席指揮者として迎えられ、以後19年間(1908年 - 1927年)にわたって輝かしい芸術的成果を上げる。 同年にウィーン・フィルは公式に認可される協会組織となり、名称も新たに"Wiener Philharmoniker"となった。1918年ハプスブルク帝国が崩壊するとパトロンを失い、宮廷楽団から脱皮し、労働者のためのコンサート、舞踏会主催、SPレコード録音などの収益拡大した。1922年夏にはワインガルトナーの指揮で初めて南アメリカへ演奏旅行を行い大成功を収めた。またザルツブルク音楽祭(ウィーン・フィルと同じく1842年に創設)においてオペラとコンサートの両面で活躍し、音楽祭の中心的な存在となる。このザルツブルクでの活動は国立歌劇場総監督のフランツ・シャルクとブルーノ・ワルターの貢献に拠るところが大きい。 ワインガルトナーの後任の首席指揮者としては、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者も兼任していたヴィルヘルム・フルトヴェングラーが就任する(1927年 - 1930年)が、ベルリンでの活動に専念するため数年で退任。国立歌劇場総監督に就任したクレメンス・クラウスを首席指揮者に迎えた(1930年 - 1933年)が、クラウスが失脚してウィーンを去った後はかつて1903年〜1908年に行ったように、楽員の投票によって定期演奏会の指揮者を招聘する客演指揮者制となった。当時、折からの世界恐慌で演奏会の切符の売り上げが極度に落ち込み、楽員の内輪で切符を売りさばかなければならないほどだったが、客演指揮者制に移行してアルトゥーロ・トスカニーニ、ブルーノ・ワルター、ハンス・クナッパーツブッシュ、オットー・クレンペラー、カール・シューリヒト、ヴィクトル・デ・サバタなど多彩な大指揮者たちが定期演奏会に登場することによって、そうした事態も解消された。
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