フェリックス・モットルとは? わかりやすく解説

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フェリックス・モットル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 23:02 UTC 版)

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フェリックス・モットル
Felix Mottl
ジークフリート・ワーグナー(左)とフェリックス・モットル(右)
基本情報
生誕 1856年8月24日
オーストリア帝国
ニーダーエスターライヒ州(現ウィーン)、ウンター・ザンクト・ファイトドイツ語版
死没 (1911-07-02) 1911年7月2日(54歳没)
ドイツ国
バイエルン王国ミュンヘン
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者
作曲家

フェリックス・ヨーゼフ・フォン・モットルFelix Josef von Mottl, 1856年8月24日 - 1911年7月2日)は、オーストリア指揮者作曲家である。

ワーグナーのヴェーゼンドンク歌曲集を管弦楽用に編曲したことで知られる。

略歴

ウンター・ザンクト・ファイトドイツ語版(当時はウィーン郊外だが、現在は市内)の出身。ウィーン音楽院アントン・ブルックナーらに師事して優秀な成績をおさめる。生前は最も華麗な指揮者の一人として認められたが、『アグネス・ベルナウアー』(Agnes Bernauer 1880年 ヴァイマル)などの歌劇のほかに多数の歌曲を作曲している。卓越した音楽教師でもあり、ヴィルヘルム・フランツ・ロイスベルギーワーグナー歌手エルネスト・ヴァン・ダイクも門人の一人である。

ワーグナー作品の有能な指揮者として名を馳せ、バイロイトでは、『ニーベルングの指環』の最初の全曲上演の準備でハンス・リヒターの助手を務めた。1886年にはバイロイト音楽祭で『トリスタンとイゾルデ』を指揮している。1881年から1903年まではカールスルーエ歌劇場の指揮者となり、とりわけワーグナーやベルリオーズの作品の上演で活躍した。

後年はワーグナーの専門家としてロンドンニューヨークを訪れ、1903年にはメトロポリタン歌劇場の客演指揮者となった。1904年ベルリン芸術アカデミーの院長に就任する。1907年6月にウェルテ=ミニョン社の自動ピアノに自作のトランスクリプション(『トリスタン』から前奏曲、愛の二重唱、ブランゲーネの警告)を含む録音を製作した。1911年6月21日ミュンヘンで100回目の『トリスタン』の公演を指揮している最中に心臓発作に倒れ、7月2日に同地の病院で息を引き取った。

作品

  • 『アグネス・ベルナウアー』 (1880年
  • 『エーベルシュタイン伯』 (1881年
  • 『殿様と歌手』 (1893年
  • 『ラマ』 (1894年

編曲

参考文献

  • Frithjof Haas: Der Magier am Dirigentenpult. Felix Mottl. Karlsruhe: Hoepfner-Bibliothek. Info Verlag, 2006, ISBN 3881904247

外部リンク

ピアノロールによる録音

先代:
オットー・デッソフ
カールスルーエ宮廷歌劇場
音楽監督
1881年 - 1903年
次代:
ミヒャエル・バリング
先代:
ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世
(常任指揮者)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
客演指揮者
1903年 - 1908年
次代:
フェリックス・ワインガルトナー
(常任指揮者)




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