ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団時代
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「リヒャルト・クロチャック」の記事における「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団時代」の解説
1924年、学生のうちからウィーン交響楽団首席チェロ奏者として演奏するようになり、1934年には、ウィーン交響楽団時代からクロチャックを知っていた指揮者のクレメンス・クラウスの推薦により、ウィーン国立歌劇場管弦楽団ならびにウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者となった。1929年からウィーン国立歌劇場総監督を務めていたクラウスは、前任者のフランツ・シャルク同様若い奏者に重要なポストを任せており、クロチャックと前後してヴァイオリニストのリカルド・オドノポソフをコンサートマスターにしたり、第2ヴァイオリンの末席で弾いていたオットー・シュトラッサー、ウィリー・ボスコフスキー、アルフォンス・グリュンベルクをそれぞれ第2ヴァイオリンの首席奏者、第1ヴァイオリンのシュティムフューラー(4人ほどいるコンサートマスターに続く地位)ならびにバレエ公演時のソロ・ヴァイオリニスト、首席ヴィオラ奏者に任命したりした。また、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団入団後、クロチャックは40歳近く年上のコンサートマスター、アルノルト・ロゼと交流するようになり、その豪華な生活の話を聞いたりした。
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