イタリアきょうそうきょく〔‐ケフソウキヨク〕【イタリア協奏曲】
バッハ:イタリア協奏曲
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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バッハ:イタリア協奏曲 | Italienisches Konzert BWV 971 | 作曲年: 1734年 出版年: 1735年 初版出版地/出版社: Weigel |
作品解説
1735年、バッハは『クラヴィーア練習曲集』第2巻を世に送り出した。二段鍵盤のために書かれたその第1曲が「イタリア趣味による nach italienischem Gusto」、こんにち通称《イタリア協奏曲》とよばれる作品である。
明朗快活な両端楽章と優美な緩徐楽章、急-緩-急の3楽章からなり、これら3つの冒頭の音型は明確な関連を持っている。
出版譜には強弱記号すなわち「f」と「p」が珍しくも書き込まれているが、これは楽器自体が出すべき音量を表すのではない。当時のコンチェルト・グロッソ(複数の演奏グループが交代ないし合奏しながら進む協奏曲)の慣習にならえばトゥッティとソロの転換を、二段鍵盤のチェンバロ上では鍵盤の変換を指示するものと捉えるべきである。それは、音量の変化というよりも音色の変化であり、近代的なピアノにおいてはチェンバロ以上に豊かな表現が可能である。この作品が現代においてなお広く愛されている所以はここにもあろう。
しかし、イタリアの、たとえばヴィヴァルディの様式に代表されるような器楽協奏曲をチェンバロの上に写したものと単純に考えることはできない。
バッハが出版譜に記した「f」と「p」からは、リトルネッロ(反復される部分)とエピソード(展開される部分)、独奏と伴奏のパートの交代が明確には見えてこない。第1楽章では、確かに両端部のリトルネッロははっきりしている。しかし中間部では、絡み合う様々な旋律線の中から幾度も主要楽節が湧き上がろうとするが、完全に主題を再現するには至らず、フレーズは切れ目を見出さないまま組みつ解れつ進んでゆく。バッハはここで明らかに、単純明快な対比よりも自由で複雑な展開を望んだのである。第3楽章は各声部が比較的独立しており、対位法風ということもできる。さらに緻密な動機労作が盛り込まれ、楽曲は簡明ながら高い密度を保つ。
こうした点から、この作品はイタリア趣味によるというよりも、イタリア的な音型や語法をふんだんにちりばめたものと言うべきだろう。第1楽章冒頭のリズムは、18世紀前半にハンブルクに活躍した著述家J. マッテゾンによれば「最新の流行」であり、第2楽章におけるオスティナート(同じリズム型や旋律型を繰り返す伴奏)に支えられた装飾豊かなアリアは、ヴィヴァルディの作品そのものを髣髴とさせる。だが、やはりバッハと同時代の美学者J. A. シャイベが「外国人たちにとってほとんど模倣すべくもない」と賞賛したように、作品の本質は、ドイツ的な主題労作と図式的な形式の克服にある。その精神はやがて、初期古典派のクラヴィーア・ソナタへと結実する。
イタリア協奏曲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/21 08:27 UTC 版)
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『イタリア協奏曲』(独語:Italienisches Konzert)BWV 971はバッハ作曲のチェンバロ独奏のための全3楽章の協奏曲である。「イタリア風協奏曲」とも。
概要
原題は『イタリア趣味によるコンチェルト(独語:Concerto nach Italienischem Gusto)』。『フランス風序曲』BWV 831とともに、『クラヴィーア練習曲集第2巻』として1735年に出版された。この曲集では、18世紀のイタリアとフランスの代表的な器楽ジャンルが対比付けられているだけでなく、ヘ調とロ調という遠隔調、そして後の増四度近親という対比が施されている。
構成
曲の構成は次のようになっている。
曲中には「フォルテ(強奏)」と「ピアノ(弱奏)」の指示があり、これは2段鍵盤のチェンバロを用いて協奏曲における楽器群の対比表現を模倣するものである。
この曲はバッハが存命時にも人気があり、バッハの作った曲を「誇張や過度の技法」「自然に反し、くどくどしく理解し難い」と批判したヨハン・アドルフ・シャイベでさえも、この曲に対しては「単一の楽器で演奏する協奏曲の最大、最高の曲である」と賛辞を送ったほどであった。
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
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