アール・ホールディング(1977年-2013年)
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「サンバレー (アイダホ州)」の記事における「アール・ホールディング(1977年-2013年)」の解説
1977年、ジャンスは資金が底を衝き、ウォルト・ディズニー・カンパニーとリゾート売買交渉に入った。その交渉がディズニーによって引き延ばされている間に、ユタ州の事業家アール・ホールディングが「ウォール・ストリート・ジャーナル」の小さな記事からこの状況を知り、ジャンスにコンタクトして会合を設定した。ホールディングはリトルアメリカ・ホテルズ・アンド・リゾーツを経営する自社のシンクレア・オイルを通じて、サンバレーを約1,200万ドルで購入した。ホールディングは当初地元民から不信の念を持って見られていた。1970年代のブレイン郡で、車のバンパーに貼られるステッカーには、「アールは4文字語」と書かれていた(4文字語は禁句)。しかし時間の経過と共に、ホールディングは投機のためにこのリゾートを買収したのではないことが分かってきた。他の資産と同様に長期の視点で運営し改良しようとしていた。最初に変えたことは、初期の1人乗りチェアリフトを3人乗りに置き換えたことだった。ホールディングが所有した最初のシーズン(1977年-1978年)に、ボールディのリフトチケット1日分は13ドルだった。 ホールディングが所有している間に山岳部に大きな改良が加えられた。広範な人工降雪システムと手入れ装置、高能力チェアリフト、4つの印象的なロッジの建設、ゴンドラ型リフト、古典的ラウンドハウス・レストランの改修があった。 1977年、ウォーム・スプリングスの側では100エーカー (0.40 km2) のゲレンデを標高8,200フィート (2,500 m) まで可能にし、当時世界最高と考えられた。1980年代後半から1990年代初期、ゲレンデはボールド山までかなり広げられた。1988年夏に高速の4人乗りチェアリフト3基が設置された。チェアリフトにクリスマス、チャレンジャー、グレイホークと名前が付けられた。丸太、川の岩および硝子で造られた印象的なデイロッジが、1992年秋にウォーム・スプリングス麓にオープンし、1960年代の「ノースフェイス・ハット」カフェテリアと置き換わった。1993年にはシアトルリッジの尾根に、1995年にはリバーランの麓に同様なデイロッジがオープンした。 3基あるチェアリフトの頂点、標高9,030フィート (2,752 m) の下120フィート (37 m) に、古く質素な平屋のカフェテリア、「ルックアウト・レストラン」がある。1973年に建設され、多層階の建物の地上階であるが、上層階が建設されず、「地下室のような」雰囲気になっている。それでもそこから見る山並みは極めて印象的である。しかしこの施設を将来的に建て替えるマスタープランが近年承認された。 1990年代には高速4人乗りチェアリフトが4基追加された。これらのうち2基はリバーランとシアトルリッジにあった古いものに代わるものであり、2基は全く新しいスロープを開いた。すなわち1993年のルックアウト・イクスプレスと1994年のフレンチマンズである。ボールディにある13基のチェアリフトは1時間に23,000人以上を運ぶことができる。平均すれば1日3,500人のスキーヤーが来る。ピーク期では1日6,000人以下である。サンバレーではリフトの線を最小にしており、大きなリゾート地の中では希なことである。 2004年11月、ドラー山ロッジがオープンした。このデイロッジはドラー・キャビンに代わるものであり、サンバレー・スキー学校の本部にもなっている。これはビッグ山にあるより新しいデイロッジに外観が似ている。 当初のサンバレー・ロッジの内装はホールディングが所有している間に2度改装された。1985年の50周年と2004年だった。サンバレー・インも近年改装された。 サンバレー・ゴルフコースは2008年夏に大きく改良され、新しく「ホワイトクラウド・ナイン」のコースが古いガンクラブの場所に開設された。ガンクラブはトレイル・クリーク道路沿いの下に移された。またフルサービスのクラブハウスである「サンバレー・クラブ」が、リゾートのマウンテン・デイロッジのスタイルで建設され、それまでのかなり小さな施設に置き換わった。 2008年にはまた、サンバレー・サマー・シンフォニーとの共同で「サンバレー・パビリオン」がオープンされ、毎年3週間半開催される無料コンサートの恒久的会場になった。このパビリオンは最新式の公演会場であり、既に良く知られた音楽家が公演しており、将来も予定されている。 2009年、ボールド山に「ラウンドハウス・イクスプレス・ゴンドラ」を導入し、山のリバーラン・ベースからラウンドハウス・レストラン(山の中腹、標高7,700フィート、2,350 m)まで走らせることになった。1939年導入時は1人乗りだったイグジビッション3人乗りチェアリフトが取り外され、新しく8人乗りリフトが加えられた。この新しいゴンドラはスキーヤーでもそうでなくても年中昼食や夕食にレストランまでの客を運んでいる。ラウンドハウス・レストランは1939年に建設され、2010年には年間を通じて使われるための改修を終えた。 アール・ホールディングは2013年4月に逝去した。リゾートは現在その家族によって運営されている。雑誌「フォーブス」は、サンバレーが3億ドルほどの価値があると見ている。
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