その後の奉祝曲
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「皇紀2600年奉祝曲」の記事における「その後の奉祝曲」の解説
演奏会の翌年の1941年(昭和16年)に、放送録音分の録音がコロムビアから13枚組のSP盤として発売された。また、同年にはR.シュトラウス自身が2600年祝典曲を指揮・録音したレコードがポリドールから発売された。これらのレコードはCDにも復刻されている(コロムビア盤:ロームミュージックファンデーション私家版(2007年(平成19年)発売の『日本SP名盤復刻選集3』で全曲が発売された)、コロムビア(山田指揮イベール)、某海賊盤(フェルマー指揮シュトラウス)。ポリドール盤:ドイツ・グラモフォン)。 奉祝曲の演奏史をたどるのはあまり容易ではない。シュトラウスの曲のヨーロッパ初演は1941年(昭和16年)10月27日にシュトゥットガルトにおいてヘルマン・アルベルトの指揮によって行われた。1942年(昭和17年)1月にはシュトラウスの遠戚であるルドルフ・モラルト指揮ウィーン交響楽団によってウィーン初演された。また、イベールの曲は初演前後に一旦紛失したものの、メモを参考に書き直し、1942年(昭和17年)1月24日にシャルル・ミュンシュ指揮のパリ音楽院管弦楽団によってヨーロッパ初演が行われている。演奏を拒否されたブリテンの曲は1941年(昭和16年)3月にニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会で初演された。 1945年(昭和20年)の日本の敗戦とその後の情勢の変化により、奉祝曲(ブリテン作品も含む)の運命も変化することになった。奉祝曲そのものは奉祝会の後身団体である「光華会」から東京芸術大学図書館(総譜)とNHK(パート譜)に寄贈された。また、シュトラウスの曲は判明しているだけでも20世紀中には少なくとも日本では5回演奏されたようである(1955年(昭和30年)、1958年(昭和33年):N響、1988年(昭和63年):読売日本交響楽団、1999年(平成11年)~2000年(平成12年):仙台フィルハーモニー管弦楽団。仙台フィルは同年の海外公演でも取り上げている)。また、ウラディーミル・アシュケナージ指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団によって同曲のデジタルによる初レコーディングが1998年(平成10年)に行われ、2007年(平成19年)1月26日にSACDとしてエクストンレーベルからリリースされた。 日本における21世紀初の演奏は、2009年(平成21年)6月21日、東京フィルハーモニー交響楽団による「第40回 午後のコンサート」での上演である。指揮は大町陽一郎で、打楽器はタイ・ゴングが使用された。 ブリテンの曲は、1956年(昭和31年)2月18日にブリテン自身の指揮でN響によって日本初演された。ヴェレッシュの交響曲は2002年(平成14年)になって久しぶりに録音が行われた。イベールの曲は比較的演奏や録音される機会が多い(ジャン・マルティノンや佐渡裕らによる録音がある)。ピツェッティの交響曲は、1959年(昭和34年)1月12日日比谷公会堂に於ける東京フィルハーモニー交響楽団第48回定期演奏会で、アルベルト・レオーネ指揮により再演された。その後しばらく演奏が無かったが、2016年(平成28年)2月14日東京・紀尾井ホールに於けるオーケストラ・ニッポニカ第28回演奏会で、阿部加奈子指揮により演奏されている。
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