その後の子孫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:15 UTC 版)
シンザンの産駒は10頭が種牡馬入りした。多くはマイナー種牡馬の域を出なかったが、ハシコトブキとミホシンザンは重賞馬を2頭ずつ出すことに成功した。更にミホシンザンの代表産駒マイシンザンも種牡馬入りしたが、繁殖牝馬を集められず種牡馬を引退。2009年10月1日にマイシンザンの産駒シルクセレクションが登録抹消され、サラブレッドとしての父系は潰えた。ミナガワマンナは2007年、マイシンザンは2013年、ミホシンザンは2014年に死亡した。乗用種としては更にしばらく継承され、エキスパートの産駒であるセルシオーレという中間種の牡馬が2019年まで繁殖登録(繁殖登録番号22JS00001)されていた。 一方、シンザンの血を母方に持つサラブレッドは現在も存在する。シンザン産駒の牝馬は多数繁殖入りしており、またミホシンザンやミナガワマンナの血を引く繁殖牝馬も一定数存在する。スガノホマレやハシコトブキの血は残らなかったが、シルバーランドの代表産駒であるウーマンパワーの牝系も残っており(レイナワルツなど)、これらは現在でも散発的に活躍馬を出している。21世紀以降のG1馬では、トロットスターやロジック、メイショウマンボなどが血統表のどこかにシンザンを保有している。2006年には母父ミナガワマンナのアサヒライジングが北米のアメリカンオークスで2着となった。また、日本輓系種や乗用種の中にもシンザンの血を引く馬が存在すると言われており、2015年にはシンザンを母母母母母父に持つホクショウモモがばんえいオークスを制覇した。 全日本学生馬術優勝のハシピゴラスを始め馬術関係の才能を示した馬も多く、父親の知名度もあって乗馬として生き延びた馬も多かった。1984年生まれのハイエストシンザンは熊本大学馬術馬などに所属し、2018年まで生きた。エキスパートも競走馬としては未勝利だったが、馬術競技馬として活躍した。その産駒に、馬術障害飛越で優れた実績を残してたセルシオーレが出ている。 シルバーランドの産駒ミルキーウェイ(競走馬名:シルバータイセイ)は、障害飛越競技日本代表馬としてソウル五輪、バルセロナ五輪に出場した(それぞれ67、39位)。2017年時点でも、ミホシンザン、マイシンザン、スーパーシンザンの後期産駒にはまだ乗用馬として登録されているものがいる。この他、ミホシンザンやハシストームなどは乗用種の産駒も残しており、その血を持つ馬が残っている可能性がある。
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その後の子孫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:26 UTC 版)
上記の通りヒンドスタンは日本で7度リーディングサイアーに輝いた。その子孫は、時にヒンドスタン系と呼ばれた。後継種牡馬たちは1960年代から70年代の内国産種牡馬不遇の時代にもろに活躍時期が重なったため、大成功と言えたのはシンザンのみで、一定の成績を残したのもダイコーターやリュウファーロスなど少数に限られた。大父系を形成することはなかったが、1990年代でもシンザンの仔ミホシンザンやリュウファーロスの仔アンドレアモン産駒が散発的に活躍馬を出していた。 2000年前後になると、現役種牡馬はミホシンザン産駒のマイシンザンのみとなった。マイシンザンは3年目以降繁殖牝馬が集まらずに早々と種牡馬を引退し、最後の産駒マイティシンザンは浦和競馬場で5戦0勝のまま2008年4月1日付で抹消された。スーパーシンザン最後の産駒タカシマシンザンは2007年9月18日に160戦19勝で登録抹消、最後の1頭であったマイシンザン産駒のシルクセレクションは2009年10月1日付で登録抹消され、ヒンドスタンのサイアーラインは完全に途絶えた。 しかしながら、今日でもヒンドスタンの血を引く馬は一定数いる。ヒンドスタンやシンザン産駒の牝馬は多数繁殖牝馬となっており、日本に古くから伝わる牝系出身の活躍馬の血統表を見ると、ヒンドスタンの名前を頻繁に見かけることができる。
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