その後の奮闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 15:04 UTC 版)
「クラージュ・コンペティション」の記事における「その後の奮闘」の解説
2006年、クラージュは、横浜ゴムと無限からの支援を受けて、ルマンシリーズを2台のマシンで出場した。クラージュはC60を新型のLC70に更新した。無限は全日本スポーツカー耐久選手権で新クラージュシャーシに、無限のV8エンジンを搭載した。4台目のLC70は、同じくルマンシリーズに参戦していたスイス・スピリットチームに販売された。一方、ペスカロロスポーツは、大幅に改造された独自のC60の使用を継続した。ペスカロロはLMSのLMP1クラス、5レース全て優勝し、総合優勝した。一方、スイス・スピリットは4位、クラージュチームは8位と10位だった。新しいマシンは、信頼性の問題を抱えていた。 LMP2では、クラージュ・C65のカスタマーの、バラジ・イプシロンチームがルマンシリーズのチームチャンピオンを獲得した。アメリカンルマンシリーズでは、マツダチームの取り組みでC65にロータリーエンジンを搭載してチームチャンピオンシップで3位を獲得した。 ル・マン24時間レースでは、ペスカロロのC60ハイブリッドが総合2位と5位になり、中野信治、黒沢治樹らがドライブした、クラージュ・LC70は2台ともリタイヤした。LMP2のミラクル・モータースポーツとバラジ・イプシロンのC65は完走した。
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