その他の終末もの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 16:24 UTC 版)
冷戦時代には、原子力が絶対的な力の象徴として描かれ、特に核戦争によって世界が終末を迎えるというタイプの終末ものが強く支持された。ネビル・シュートの小説で映画化もされた『渚にて』(1957年)などのように、近未来の核戦争による絶滅や破滅を描いたものが多く書かれた。一方で、破滅後の世界で、ミュータント、宇宙人、最終兵器などと戦う、冒険小説的なものも書かれた。アンドレ・ノートンの『Star Man's Son』(別名 Daybreak 2250、1952年)は、放射能に汚染された大地で、青年がテレパシーを持つ猫の助けを借りながらミュータントたちと戦い、かつての文明の失われた知識を求めてアーサー王の聖杯探しのような旅に出る様を描く。この小説は後の破滅ものに大きな影響を与え、ほとんど語り直しのような小説が無数に出版される原型となった。 終末もののフィクションでは、未知の疫病や人工の疫病、彗星や隕石の衝突、気候変動や環境破壊、経済破綻や暴動、宇宙人の侵略や超自然的な存在による破壊、機械やロボットの反乱、太陽の膨張、人類の種族としての絶滅など、様々な原因による終末や破滅が描かれる。破滅後を舞台にしたものでは、生存者の苦闘を描くもの、民兵や宗教組織が抑圧的な社会を築いているもの、西洋の中世程度に文明が後退した世界で破滅前の文明の遺物を巡って戦うものなどがある。また、破滅そのものよりも、迫る破滅直前の人心荒廃にテーマを置くものもある。 日本でも1960年代末から1970年代にかけ、高度経済成長と石油ショックがもたらした公害や急激な社会不安などから、終末ものフィクション(SF小説やSF漫画)、終末予言(五島勉の『ノストラダムスの大予言』など)が大流行した。1980年代から1990年代初期にかけては、冷戦の再激化や核事故(特にスリーマイル島原子力発電所事故やチェルノブイリ原子力発電所事故)などを受けて、『北斗の拳』『風の谷のナウシカ』『女神転生シリーズ』『メタルマックスシリーズ』といった、核戦争や核事故などで死に絶えた世紀末前後の世界が舞台として描かれるフィクション作品が増え、『タイムリミット』など世界の終末を示唆する歌曲も登場した。この外にも、異星人による侵略と冷戦の地球外への拡大が融合した『蒼き流星SPTレイズナー』や、人類文明の撲滅を企図する人外の呪術組織を描いた『仮面ライダーBLACK』なども登場した。また、『ターンエーガンダム』のように文明崩壊寸前に難を逃れたごく一部の人々が荒廃した地球とは別に、高度文明を継承している場合もある。この場合主人公と敵対することが多い。 1990年代後半になると、『新世紀エヴァンゲリオン』で見られる「世界の終末」と「主人公とヒロインの狭い関係性」を直接的に結び付けるローカル事情が世界の趨勢を左右する「セカイ系」と呼ばれる作品が多数出現している。ただし、これらセカイ系作品では、世界の終末そのものより、自己への承認を求める自意識の問題が前面に押し出されている部分があり、純粋な意味での終末ものは、日本では1990年代後半以降はそれほど流行していない。
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